"【小説を読む】"カテゴリーの記事一覧
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小説を読む「仕事」。
ところでみなさま、小説ってどこで読まれますでしょうか。
本の形態によっても多少の変化はあると思うのですが。
ハードカバーは持ち歩きが大変ですから、自宅でしょうか。
新書や文庫なら可搬性抜群ですから、通勤途中とかでしょうか。
小生は電車内でないと小説を読めない生き物です。
自宅には小説を読むための「場所」がありません。
騒音を遮断し。
誰にも邪魔されず。
集中できる数十分──それが自宅にはないのです。
ただ、残念ながら、小説を読む「仕事」の場合はそのいいわけが通用しません。
自宅で読むしかないのです。
しかしながら、環境は劣悪と言わざるを得ません。
仕方なく、小生はUSBヘッドフォンにiTunesのネットラジオから流れるゴアテクノを満たして、キーボードをどけた狭いパソコンラックの上で小説を読むのです。
手にペンを持ち、メモをしながらでないと読み進めることができないので、いよいよもって大変です。
周囲の雑音、プレッシャー、妨害行為。
それらは決して「悪意」ではありません。
家族に悪意などあるわけもなく、むしろDKでヘッドフォンをして家族を無視している小生の方が圧倒的に「悪意に満ち満ちている」のですから。
でも。
これは「仕事」です。
小生もあだやおろそかにできることではないのです。
だから。
こつこつ。
こつこつ。
ゴアテクノ聴きながら。
家族を「無視」しながら。 -
アウトプットできないのです。
蓄積がなかったら応用も出来ないし。
つまり、やっぱり小生は読書量が圧倒的に足りないのだなあ、と。
毎年まいとしこの時期思うのです。
読まなければ書けないと。
読まなければ読者の気持ちは判らないと。
読者の気持ちにならなければ作家はやっていけないのだと。
必要なテクニックは見につけたつもりでした。
読めばそこに何が足りないのか、どうすれば良くなるのかを言い当てることはできるのです。
なのに、なぜ自分でやるとそのメソッドが活きてこないのか。
学習したはずではなかったのか。知識が定着していないのか。しょせんは他人事なのか。
もっと、もっと読まなくてはいけません。
そして血肉にしなければなりません。
もっともっと。もっともっと。
人生これ精進です。 -
なるほど、面白いです。
日本人のための純日本製ファンタジーですね。
隙がないです。
かといって、がちがちではないです。
この一冊で終わってしまうと考えたら、あまりにもったいない作りです。続編が読みたくなります。
物語が続いている、という意味ではありません。その後の主人公たちのことが気になってしかたがないのです。
それこそが「続編」ですよね。
語り尽くせないキャラクタたちのエピソード。もっと彼ら、彼女らの物語を読みたいと思わせる雰囲気づくり。
真似できません。
素晴らしいです。
小学六年生のムスメも「本当に面白い」と言って、何度も何度も読み返しています。
そんな物語を小生は書くことができるでしょうか?
生み出すことができるでしょうか?
大人にも子供にも面白い物語。何て難易度の高い話でしょう。
続編を読むのはすこし間をあけてからにしようと思っています。
考えさせてください。
分析、と言うほどのことはできないと思いますが。
でも。
この「力」は欲しいです。知りたいです。学びたいです。盗みたいです。