"【文房具を語る】"カテゴリーの記事一覧
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1980年代の驚異的な文房具を愛でる狂気のブログ。
こいつは本当にすごすぎた。
初出:2018年3月16日
便利そうだ、良さそうだ、役に立ちそうだ。
そういう直感に頼って、色々な文房具を購入してきた。
成功例もあるし、もちろん失敗例もある。
例えば、こんな具合に。
最初に使ったシステム手帳は、ビニール製だった。一年ほどで端が擦り切れたが、バイブルサイズの母艦としてその後も永年わたしにつき合ってくれた心強い存在だった。
並行して使用していた2代目は、革製スリムバインダーだった。スーツの内ポケットにも入る薄型バイブルサイズで、ショルダーホルスター型の脇下吊りボディバッグに入れていつも持ち歩いていた。
3代目は、社会人になってしばらくしてから購入した。さすがに大学時代から使い続けてきたぼろぼろのビニールカバーが恥ずかしくなってきたからだ。
メーカーは京セラ。
名をリファロと言う。
この記事の読者層は、「京セラ」と聞いて何を連想するだろう。
21世紀の京セラのイメージは「セラミック」と「半導体」、「携帯電話」と「複写機」あたりだろうか。文房具とは縁遠く見えるかもしれない。
だが、京セラは文房具も作っているのだ。
セラミックをボールに使ったセラミックボールペンやセラミックカッターなど、京セラならではのセラミック文房具が今でも入手可能である。
また、半導体や電子機器の技術を応用したものもある。今回紹介するリファロは、中でも悪魔合体的な様相を呈した、バブル期ならではのチャレンジ製品である。
リファロはバイブルサイズの6穴バインダーでありながら、電子手帳であり、電子手帳を超えた小型パソコンでもあった。CPUだけ見れば、ほぼ同時期に市場に出たノートパソコン・98NOTE(V30/10MHz)と変わりない性能を持っていたことになる。
ここでいう電子手帳とは、液晶画面を持ち、内部メモリに電話帳や住所録、簡易メモを保存でき、別売りのメモリーカードを購入することによって地図や辞書といった情報を閲覧できるハンディな電子機器を指す。
リファロを開くと、左側に液晶パネルが出てくる。タッチペンで入力ができ、ひらがなを書くと漢字に変換してくれる。表示は横書きだけでなく縦書きにも対応しており、メモリーカードによる拡充で単なるリーダー機能だけではなく、情報を加工したりそれをRS232Cケーブルでパソコンに流し込むなどの編集作業も可能になるはずだった。
できることが多い分、リファロはガワも大きかった。「バイブルサイズの6穴バインダー」だと前述したが、実際に触れてみると「電子手帳2枚でリフィルを挟んで持ち歩いている」ような代物だ。
外装は樹脂だし表紙は前後どちらも分厚いし、そもそも本体だけで650グラムもある。落下させたらヒンジか表紙の合わせ目かバインダー金具の解放ラッチのどれかが間違いなく壊れるだろう、と思いながら持ち歩いていた。
バインダー金具の直径は一般的なシステム手帳に近いものだったが、いかんせん表紙部分が湾曲しないので、干渉しない程度にしかリフィルを挟むことができない。
そもそも、リフィルに書くためのペンを挟むパーツがない。市販リフィルでこれを拡充しようとしても、今度は閉じた時に飛び出してしまってぶらぶらするし、外部にバンドパーツがないのでたいへん締まりが悪かった。
そういう意味では、リファロはシステム手帳ではなかった。
少なくとも、わたしの希望するもの──リフィルとアクセサリ──はほとんど入らないのだ。
じゃあなぜ買った、と問われれば。
購入当時も、こう答えていた。
「だって、便利そうだと思ったんだもん」
最初は会社でも取引先でもかなり珍しがられ、電子手帳部分を見せびらかしもした。
だが、大抵の人は説明すると「あー」と言って、それ以上は聞いてこなかった。わたしも使いこなすどころか、最終的には電卓機能ぐらいしか使っていなかったので、この製品に限っては大したドヤ顔もできなかった。
そして間もなくして、わたしはリファロを落下させ、壊してしまう。
ばらばらとまでは行かなかったが、外装は歪み、角は欠け、電池蓋は弾け飛び、緑の液晶は紫色に染まった。
それを機にまたバインダーを買い換えるのだが──よせばいいのに、次に買ったのは両表紙が分厚いウォールナットの一枚板でできたバインダーだった。
リファロよりは軽かったが、やっぱり落として木の表紙を割った。こっちは真っ二つになった。
それ以降、わたしはバイブルサイズから遠ざかり、メイン手帳を6穴のA5サイズに移行させていくことになる。
80年代半ばから90年代前半──こういった時代の徒花みたいな製品がやたらと生まれては消えていった。
もう、こういう無茶なチャレンジ製品は生まれてこないかもしれない。
正直なところ、わたしのように、リファロを「システム手帳として」使っていたひとってどのくらいいるのだろうか。
そして、その人は幸せだったのだろうか。
──わたしですか?
いい思い出ですよ。ええ。本当に。
【後日譚】
やっぱり壊れていたとはいえ、このリファロやQuickTake100、PowerBookDuo210とかをゴミ箱に平気でポイできていた20世紀末のわたしは、やっぱりどうかしていたとしか思えないですね。
だからといって、iBookとかMURAMASAとか捨てられない今の自分が正しいとも思えないのですが。
そしてやっぱり気になるのは、電磁カップリングでセット可能と言われたリファロ専用リフィルが本当に発売になったか、ですよね。ここにキーボードの写真があるので、少なくともキーボードは発売されたんでしょうね…… -
1980年代の文房具に思いを馳せる遠い目のブログ記事。
今回は、そのデザインで生まれた時期が判る、ロングセラーにしてベストセラーなあのノートのお話。
初出:2018年3月2日
子供の頃から、漫画を描くのが好きだった。
最初はただの落書きだったが、見よう見まねながらコマ割りをして漫画らしいものを描くようになったのが、小学校3年生だったと記憶している。
小学生の時、授業でどんなノートを使っていたのかは記憶にない。
ただ、自分がどんなノートに漫画を描いていたのかだけは、はっきりと思い出すことができる。
大抵は、母親が適当に買ってきた、銘柄も罫もばらばらの大学ノートだった。
大学ノートはみな糸綴じで、フラットに開かなかった。綴じ側に漫画を描くとき、押さえつけなければならないものがほとんどだった。
だが、その中に無線綴じのノートが混ざっていた。平たく机に寄り添い、わたしの拙い作画作業をいつも快適にしてくれた。
紙の表面もつるつるしていて、生ゴムだった消しゴムを掛けてもよく消えた。
他の糸綴じノートがゴム掛けに負けて縫い目から破れていくのを尻目に、決して消しゴムの力に負けたりもしなかった。
その名は、キャンパスノート。
初代の登場は1975(昭和50)年。小学3年生だったわたしは、その紙質のよさと無線閉じのすばらしさに酔いながらも、まだキャンパスノートを指名買いするには至っていない。
中学に上がるとノートを自腹で買うようになり、漫画用ノートはキャンパスノートに固定された。
そして1983(昭和58)年──キャンパスノートがリニューアルされる。
わたしが人生で最も使ったキャンパスノートが、この2代目だ。
発売当時、わたしは中学2年生だった。
漫画を描く、といっても決して高尚な趣味ではない。
ただノートにコマ割りをして、思いついたことをシャープペンシルで描き込むだけだ。
下書きもない。
ペン入れもない。
ベタもないし、トーンも貼らない。
毎日、学校から帰ると、自宅でこつこつと漫画を描いた。
夕食後、就寝するまでの間を惜しんで描いた。
徹夜をすることはなかったが、深夜ラジオを聴きながら眠くなるまでひたすら描いた。
右手の手刀部分が真っ黒になるまで描いた。
自腹でキャンパスノートを買うようになってからは、描きやすさから筆が──否、シャープペンシルがさらに進み、冊数が加速度的に増えていった。
描いた漫画は学校に持って行って、級友たちに披露した。
級友たちはみな面白がって読んでくれたし、わたしもそれで満足していた。
描いていたものは、いま見ると稚拙な剽窃漫画に過ぎない。観たテレビアニメだったり、読んだ漫画だったり、すぐに元ネタが判るようなものばかりだ。だが、ストーリーは自分で考えた。その時に自分の中で流行っているものを、自分の中に取り込んでさらに好きなものに変換し吐き出す作業が、本当に楽しかった。
友人をモデルにした巨大ロボット漫画、熱海で買った10色ボールペンをモデルにした宇宙戦艦、沢田研二をウルトラ兄弟にした4コマ、キャッチャーマスクを被った仮面刑事、スーパーマンとスパイダーマン、仮面ライダーの共闘──そんな奇抜さも、級友たちにウケた理由なのだろう。
この頃、よくわたしは自分の中で「文房具合い言葉」を発していた。
シャープ芯は三菱、ノートはコクヨ。
そのくらい心酔し、傾倒していた。
今と違って、豊富な製品群から好みのものを選択する自由はほとんどない。
文房具も、中学校の隣にあるちいさな文房具店の店頭が総てだ。
並んでいるノートは少ない。ファンシー系を除くと、多くても10種類程度だ。
その中でキャンパスノートは群を抜いて上質で、そして高価だった記憶がある。
ノートを選ぶのは個人の自由だが、級友たちの何名かは、わたしが回覧したキャンパスノートの質の良さに感銘を受け、実際に購入していた。
書きやすく消しやすい最高の紙質。
好みの罫を選べ、それが視覚的に判りやすい表紙。
子供っぽくなく、それでいて大人すぎない、シンプルで飽きの来ないデザイン。
「スーパーやディスカウントショップで売ってる束ノートとはやっぱ違うな!」と興奮気味に話し、それに大きく頷く坊主頭の友人が記憶にある。
この頃から、意識はしてなかったが「使ってみて良かった文房具を薦めたい」気持ちは多分に持ち合わせていたようである。
そんなノート漫画も大学に入ってからは描かれなくなり、漫画を描くことは「画稿用紙にペン入れ・ベタ・トーンを施してオフセット印刷に回すこと」とイコールになった。
子供の頃の自由な発想は消え、ちいさくまとまったフィニッシュワークを追い求めるようになり、すぐに己の限界を感じるようになる。
数十冊あったノートも、気づけば手元にまったくない。
楽しかったあの「漫画」を取り戻すことはもうできないのか。
いま、わたしの息子は小学生だが、彼もまた鉛筆で大胆な棒人間の漫画を描いている。コマ割りし、下書きせず、ベタも塗らず、ただひたすらに、ノートに棒人間とモンスターのバトルを描いている。
彼の使うノートは、5代目キャンパスノートである。
息子よ、今を楽しめ。型にはまるな。最高のキャンパスライフを満喫するんだ。
【後日譚】
わたし、実際には初代からの使い手( ^o^)なのですが、本連載はあくまで「1980年代の文房具」が題材──ということで、間違いなく「一番使った」二代目を主人公にして書いた記事でした。
ちなみに二枚目のイラスト、「他故が子供の頃に描いたノートまんがたち」は小学生から大学生までの間に描いたまんがを記憶だけで再現したものですが、まてまてノートまんがじゃないものがけっこう混ざっているぞ!(10キャラ中4キャラはノートまんがじゃない!)
あと、ことしあたり六代目デザイン来てもおかしくないのですが、難しいですかね……。 -
1980年代の文房具を徹底的に語り倒す記事。
今日は本当に好きだった筆記具です。
初出:2018年2月16日
ロットリングというメーカーに憧れていた。
学生時代、行きつけの画材店で必ず見るロットリングの棚は、毎日でも飽きないものだった。
特にイソグラフと呼ばれた製図ペンは、線を引く喜びを知りつつあったわたしを魅了した。
しかしながら、わたしは製図を生業とするものではない。漫画を描きたいだけの大学生だ。イソグラフは洗浄を伴うメンテナンスが必要で、ズボラな自分にはぜったいできない。毎日インクを抜いて洗浄するなど、どの世界線のわたしでもするものか。
それでも、わたしの中でロットリング社は最高の製図用品メーカーとして、永らく君臨を続けることになる。
ある日、そのロットリングの棚に、見慣れぬペンがあることに気づいた。
ロットリング・アルトロ。
それまで見ていたイソグラフや製図用のシャープペンシルたちとは、まるでルックスが異なる。
言い方は悪いが、芋虫のような段々のついたデザイン。
言い方は悪いが、安っぽくて変色しそうな樹脂のボディ。
言い方は悪いが、製図ペンのような顔をしていながら正体の掴めぬペン先。
言い方は悪いが、赤いリングが挟まっていなければぜったいに買わなかっただろう筆記具。
それがアルトロだった。
そして、わたしはアルトロを購入した。
なぜか?
理由はひとつしかなかった。
ロットリング社の製品としては安かったからだ。
定価は1,000円だった。
アルトロは、インクペンである。
インクカートリッジからダイレクトに、インクがペン先に出てくる。
原理は万年筆の始祖と言われる「中空パイプ式万年筆」と同様であり、ロットロングを代表する製図ペンであるイソグラフとは兄弟のような関係である。
ただ、それら製図ペンとアルトロの決定的な差は、インクの流量だ。
製図ペンは決められた幅の線を確実に引くための道具であり、インクフローは一定でなければならない。対してアルトロは筆記具であり、雑に扱ってもかすれや詰まりを起こさないようフローは潤沢になっている。
万年筆のようなペン先の柔軟性はない。
製図ペンのような正確無比な線は引けない。
水性ボールペンほど滑らかではない。
だが、購入したアルトロのMは、やや立て気味にして書くことさえ忘れなければ、たっぷりとインクが紙面に染み出していく。その様が、実に気持ちいい。
今に続く「紙にインクが染みていく快感を味わいたい」という感情は、この時知ったものだった。
わたしはしばらく、アルトロを使ってメモを取るようになった。
何か考え事をする際、この頃のわたしは常にAmpadのイエローリーガルパッドを取り出し、とにかく何でも書いた。
メモの時もある。落書きの時もある。走り書きで、あとで読んでもわからないようなものもある。かと思えば、最初から報告書のようにがっちりと文面を書き出すこともある。
授業はノートに取るのが常だったが、創作関係のメモはみなイエローリーガルパッドに書いていた。自宅だけでなく、大学にも持っていき、暇があればレターサイズの黄色いパッドを取り出し、メモを取る。
その際にいつもそばにいたのが、アルトロだった。
相手がざらざらした粗悪な紙であればあるほど真価を発揮するインクフロー、長いが軽くて取り回しのしやすいボディ、そしてなくなれば文房具店で比較的容易に入手できるヨーロッパ互換のショートカートリッジ。
アルトロは、いつしか当時のわたしになくてはならない筆記具となっていた。
大学の仲間からは、変わった筆記具を使っていると思われていた。文房具に何の関心もない彼らに、わたしは「気持ちよく書くこと」を説いて回った。
「いつも同じノートにシャープペンじゃつまらない。たまにはこういう、インクがどばどば出て紙にがんがん染み込んでいく筆記具を使おうよ!」
友人たちはわたしの手からアルトロを受け取り、いくつかの文字をイエローリーガルパッドに書き、そして不思議そうな顔をしてまたアルトロをわたしに返す。
インクが紙に染みることの、どこがそんなに楽しいのか?
彼の顔にはそう書いてあった。
私はそんな彼に、笑顔で親指を立てて見せるのだった。
「楽しいに決まってんだろ!」
そんな愛用していたアルトロだが、わたしは大学の寮から会社の寮に引っ越す際に、あっさりとそれを紛失している。
あっけない別れだったが、人生なんてわりとそういうものかもしれない。
それから四半世紀が過ぎ──古文具として、アルトロは手元に戻ってきた。偶然ながら、武蔵小金井にある古文具専門店・中村文具店にて購入が叶ったのである。
帰宅して、いそいそと新しいインクカートリッジを装填した。またあの書き味を楽しめる! と思った矢先に──机から落下したアルトロを椅子のキャスターで轢いてしまい、軸がばりばりに砕けてしまった。
もう、手元のアルトロは筆記具としての役には立たない。
またどこかで、あの書き味に出会うことはできるだろうか。
また親指を立ててドヤ顔をする機会はやってくるだろうか。
【後日譚】
この後、ひとさまから伝手で譲ってもらったり、文房具店で発見して購入したりして、白軸のアルトロは6本になりました。
まだ割れているアルトロも手許にあります。
インクをとおしているのは割れたもの以外に1本だけなのですが、万年筆とは違う書き心地は悪くないものです。
ただまあ、金ペンをたくさん使うようになってからだと、さすがに見劣りはしますね。思い出深い書き心地なので使っていますけど、メインの筆記具にするには厳しいです。 -
1980年代の文房具事情を21世紀に伝える使命を帯びて。
今回はついに市販品ではない文房具。でも、1980年代を代表する文房具。
初出:2018年2月2日
高校時代までは、ファイリングとはルーズリーフをバインダーに綴じることだった。
だが、大学生になって、それだけでは収集した情報を整理しきれないと悟る。
そのとき、指標になるひとが登場した。
ノンフィクションライター・山根一眞氏の名を知ったのは、どこが最初だっただろうか。
おそらくは雑誌『BOX』か、あるいは著書『スーパー手帳の仕事術』(共にダイヤモンド社)だったか。氏の取材記事がと言うよりは、氏の取材方法とその機材に注目していたのだ。
高校時代までの創作は、ただ単に脳内のあるイメージを絵なり言葉なりで吐き出すだけのものだった。
だが、大学生になり、サークルで長編小説を連載するに当たり、脳内情報だけでは碌なものが書けないことに気づく。
取材と調査が必要だった。
大学生がぽっと思いつきで書く小説である。決して複雑な内容ではない。だが、そこに肉づけを行うためには資料が必要だった。山根氏の記事を読み、触発されたわたしは、自発的な情報収集を手探りで開始していた。
当時、デジタルで情報を得る方法はない。
手元に情報をストックするにあたり、媒体はたいていの場合、紙だった。
方法は3つに大別できた。
1)一次情報に当たり、自筆でメモを取る。
2)風景や物体は写真に撮り、プリントを作成する。
3)雑誌やパンフレットは購入あるいは入手し、手元に保管する。図書館で借りたものなどはコピーを取って保管する。
この大きさや形の異なる3つの紙情報を、ファイリングする必要があった。
山根一眞氏の著書『スーパー書斎の仕事術』(アスキービジネス)に、画期的なファイリングシステムを発見したときは、思わず小躍りしたものだ。
お金もなく、スペースもない貧乏大学生でも、項目別に情報をファイリングできる──それが「山根式袋ファイル」だ。
用意するものは4つだけ。
1)角形2号封筒
2)カッター
3)定規
4)サインペン
まず角2封筒の上端を1.5センチ切り落とす。
そこから小さなマスを3個、大きなマスを1個、定規を使って書いていく。『スーパー書斎の仕事術』にはガイドとなる定規のページが用意され、これをコピーした厚紙を「袋ファイル作成定規」にすることができた。
上の3マスには、インデックスとなる言葉を記入する。ルールは単純で、その下の大きなマスに記入するタイトルの上から3文字をカタカナで書き入れるのだ。例えば、ファイリングする内容が「ブンボーグ・メモリーズ(のネタ)」であるなら、「ブ」「ン」「ボ」と記入すればいい。
できあがったら、あとはここに何でも放り込んでいく。
切り取ったイエローリーガルパッド。
ルーズリーフ。
5×3カード。
パンフレット、リーフレット、カタログ。
雑誌の切り抜き。
コピーを取った資料。
ワープロでプリントアウトした資料。
撮った写真。ネガとプリント。
みるみる膨らんでいく袋ファイルもあるし、薄いままの袋ファイルもあった。
袋が育つのも楽しいし、忘れた頃に中味を点検するのも楽しかった。
小説のネタだけでなく、純粋に当時欲しいと思っていたワープロ、パソコン、カメラのパンフレットやカタログもどんどん袋ファイルに放り込んでいった。自作したオリジナルのシステム手帳用リフィルをストックしたり、満寿屋の原稿用紙を入れたり、とにかく何でもかんでもここに投げ込んで集約していった。
山根式袋ファイルの利点はいくつかある。中でもわたしが実感できたのは、「安価にシステムが組める」ことだ。
自宅から持ち出さない、他者に手渡さないことが前提ではあるが、やや貧乏くさい体でも1枚10円程度(『スーパー書斎の仕事術』では「100枚1組720円」と書かれていたが、さすがにわたしは10枚単位でしか買えなかった)で始められる山根式袋ファイルは本当にリーズナブルで手軽だった。
さらに、特別なファイリングのための場所も必要ない。当時住んでいた学生寮には備えつけのスチール机があり、これの下抽斗がそのままファイリングボックスとなった。角2封筒の上1.5センチを切るのは、この抽斗に角2封筒を収めるための工夫だ。
学生時代に活用した袋ファイルが、現在でも50枚ほど残されている。
途中で破棄したもの、袋が破壊され中味が散逸したもの、バインダーに閉じ直されたもの──紆余曲折はあったが、デジタル環境が整うまでは社会人になっても袋ファイルの個人的な活用は続いた。
パソコンが個人に普及し、インターネットによって情報の共有が可能になった20世紀末、わたしの袋ファイルはその増殖を止めた。
創作のために情報を収集するのに際し、必ずしも実体を伴う紙である必要はなくなっていたからだ。
メモはテキストデータに。
パンフレットや雑誌の切り抜きはフラットベッドスキャナでデータに。
写真はデジカメでデータに。
HDDがそのまま袋ファイルと同じ機能を持つ時代が到来していた。
HDDに入れることの出来ない情報は、ほぼなくなっていた。
そして現在。
2018年3月に出るブング・ジャムの本『この10年でいちばん重要な文房具はこれだ決定会議』のゲラが出版社から届き、わたしは久しぶりに袋ファイルを作成した。
その出版社から届いた角2封筒をそのまま利用して。
懐かしいと思う反面、個人の情報収集はこれでいいんじゃないかという気にもさせられる。今でも実に優秀な文房具であると唸らされる存在である。
【後日譚】
今でも背後の書棚最下段には、当時の山根式袋ファイルが並んでいます。
さすがに劣化が進み、袋の体を成していないものもあるのですが、とりあえず現状維持でそのまま保存しています。
たまに開けると、そこは昭和の世界です。
本来の「情報時代のファイリングシステム」としての機能ではない、アナログアーカイブとしての余生。
それもまた人生──文房具の一生です。
実は、前回までが第一期であるとしたら、今回は「ブンボーグ・メモリーズ第二期」と呼べる変革のあった回でした。
2017年分の原稿料(Web連載にはちゃんと原稿料が出ていました)で、iPadPro(12.9inch/初代)とApplePencil(初代)を導入したのです。
自宅でイラストを描く手間を何とか短縮したいと考えていたわたしは、発売されたばかりのiPadProをすぐさま導入しました。
初めてのデジタル作画です。
ソフトウェアはClipStudioPaintを選択しました。
第15回までは、ケント紙にGペンで描いて、トーンを貼って、それをスキャンしていました。
第16回からは、クリスタを使っています。
慣れてくると、こちらのほうが「作業としては」圧倒的に楽です。
現物があれば、写真を撮って、下絵にすることもできます。
下書きの鉛筆線を消しゴムで消す必要もないですし、レイヤーを分けておけば線画の失敗も回避できます。引きすぎた線は恐る恐るホワイトで消さなくていいし、レイアウトに失敗したら切り出して並べ直すこともできます。トーンも範囲指定して流し込んで一発です。
そう、「作業」を行うなら、クリスタの方が圧倒的に便利なのです。むしろ、この機能を知ってしまった今となっては、もうペン入れする原稿を描く自信がありません。
でも、わたしは未だにクリスタで「落書き」ができません。
落書きはすべて鉛筆かシャープペンシルで、描く先はノートだったり手帳だったりその他の紙だったり。
恐らく「フィニッシュワークが必要なもの」はデジタル(クリスタ)で、「鉛筆やシャープペンシルで書きっぱなしのもの」はアナログなのでしょう。わたしの中では。
ペンを使って、紙の上に描きたいのです。本音は。
でも、作業の効率を考えたら、iPadProとApplePencilでクリスタに直接描いた方が絶対に楽なのです。
わたしはイラストレーターではないので、きっとこの棲み分けは一生変わらないのでしょう。
だって、わたしはイラスト描きである前に、文房具ユーザーなのですから。
紙の上に黒鉛が載っていく、あの感触を求めて生きてきたのですから。
あと、もうひとつ大きな変化が。
バート(万年筆ヘッドのギニョールはそういう名前なのです)の目が「アーモンド型の繋がり目」から「ぱっちり見開いた漫画目(目頭と目尻が線で繋がっていない)」に変わっているのです。
理由ですか? きっと第二期だからキャラデザが変わったんですよ(うそです。理由は忘れました……)。 -
1980年代の懐かしい文房具を語り尽くす謎の企画。
今回は禁断の「買わなかった文房具」のお話。
初出:2018年1月19日
この連載を始めるに当たって、読み返している雑誌がある。
1988(昭和63)年4月17日から1992(平成4)年1月17日の間、通巻58号まで発行された、日本で唯一の「文房具専門月刊雑誌」──ナツメ社の『BTOOL(ビー・ツール・マガジン)』だ。
1980年代末期の文房具と電子文具、そしてワープロブームの貴重な資料として辞書のように引くことが多いのだが、憶えていなかったことや、当時気づいていなかったことを今さらながらに気づかさたりして、読み返して飽きがこない。
この4年10ヶ月間は文房具にとっても実に重要な時期で、オフィスにOA化の波がやってきて、文房具側も「OA対応」を謳わざるを得なくなった頃にあたる。またOA化の波もワープロからパソコンに、ダイナミックに変動していく期間でもある。事実、『BTOOL』は1992年2月以降、『DOS MAGAZINE』としてパソコン誌に生まれ変わっているのだ。
そんな激動の時代を記録してきた本誌から、今回は「今なら絶対買うだろうけど、当時わたしが買わなかった文房具」をピックアップしてみよう。
・サンスター文具「パンチ&テープ」
その名の通り、2穴パンチとテープカッターを合体させた製品だ。
パンチ部分の穿孔能力はコピー用28枚と、事務用として充分な能力を持っている。ハンドルの中央に顔を出しているテープカッター部分は小巻テープ専用のもので、12ミリから18ミリまでの幅のテープが適合する。
このデザインにおける一番の効能は「小巻テープカッターに居場所をつくり、常にパンチにテープをセットしておけること」だろうと思う。デザイン上うまく配置していると思うし、何よりハンドルの湾曲が美しい。
だが、パンチを実際に押したときにどれだけテープカッター部分が邪魔になるのかがうまく想像できない。
テープを引っ張り出す際にハンドルは邪魔にならないだろうか。
あと、重量スペックが判らないが、テープを引っ張り出すときに動かないほど本体は重いのだろうか。それともやっぱりハンドルに手を掛けないとテープを引き出すことはできないのだろうか。
使い勝手に疑問はあるものの、見かけたら間違いなく買っていただろう。実に映えるデザインだと思うから。
ではなぜ買わなかったかと言うと、当時のわたしの目が節穴だったからだ。店頭にあっても見えていなかったのだろう。実に口惜しい。
定価は1,800円。大型パンチと小型テープカッターを合わせて買うのと大差ない価格である。
セロハンテープの使用頻度は多くないかもしれないが、当時ならメンディングテープをつけることも考えただろうし、今ならマスキングテープを装填してもいい。メモックロールをつけるのも面白いかもしれない。
現在はパンチもテープカッターも当時より使い勝手が向上しているので、そういったハイグレードな21世紀版が出たら嬉しい製品でもある。
その際にはぜひ軽く穿孔できるパワーアシスト機構とセンターゲージを内蔵してもらいたい。テープのカッター部分も、フラットに軽く切ることのできる工夫をしていただけると、最強リニューアル版「パンチ&テープ」が誕生するのではないだろうか。
・カシオ計算機「フラッシュコピー光奇新(こうきしん)」
文房具じゃないという気もするが、『BTOOL』に載っている時点で、本稿では文房具と認識する。
フラッシュを使った簡易印刷機、と言えばいいか。
これも当時、目に入っていなかった。
プリントゴッコ(理想科学工業製の簡易製版機能つき小型印刷機)すら持っていなかったわたしは、どうもこういう印刷系の道具にはあまり興味を持っていなかったようである。
フラッシュコピー光奇新で印刷を行うためには、まず判を作成する必要がある。
カーボンを含む原稿を用意し、フィルム判に載せ内蔵フラッシュを焚くことで、重ねて載せたフィルム判にインクの通る穴を開けるのだ。
続いてそこにインクリボンをセットしてフラッシュを焚くと、判の通りにインクが融けて転写される。
「フラッシュコピー」とは、「フラッシュを使って判をコピーする」ことと、「フラッシュを使ってコピーされた絵文字を印刷する」という二重の意味が込められているのだ。
表面が滑らかなものでインクが乗りやすいものであれば、紙、アクリル板、木材、ビニール製品など、かなり多岐にわたって印刷が可能である。
プリントゴッコは、使い捨てのフラッシュを焚いて判を作成し、そこに専用のインクをチューブから捻り出して載せ、紙に印刷する装置だった。
判を作る過程は似ているが、プリント方法そのものはまったく異なるわけだ。
光奇新の転写サイズは、カタログスペックで52ミリ×28ミリ。ほぼ名刺サイズで、葉書サイズを印刷することはできない。またインクカートリッジも5色しか用意されていない。判を代えれば5色を重ねる多重印刷も不可能ではないが、いわゆるカラフルな印刷はプリントゴッコのほうが得意だと言える。
光奇新がプリントゴッコに勝る点があるとしたら、サーマルプリンタ同様に金色と銀色のリボンが使える点と、セットされたペンシルホルダーによって鉛筆や棒状のものに印字ができる点だろう。
今のわたしなら、この「鉛筆に印字できる」という機能だけで光奇新を買っていると思う。定価は7,800円と、当時でもがんばれば出せた金額である。
全くもって当時の自分を叱り飛ばしてやりたい気分である。なぜ目に入らなかったのかと。なぜ買わなかったのかと。
文房具も一期一会である。出逢わなかったことを悔やんでも始まらないが、常にアンテナは張っておきたいものである。
【後日譚】
連載を続けるにあたって、最も困ったのは「ネタの枯渇問題」でした。
もちろん書きたい文房具は山ほどあるのですが、問題はイラストです。
記事は想い出を語るだけですから現物が手許になくても一向に構いませんが、イラストはそうも行きません。
この回が第15回ですが、その前の14エピソードで「手許に現物がない」ものは、
第2回 アメデックス
第3回 ジョッター
のみ。
アメデックスは前掲の「ビー・ツール・マガジン」に記事があり、ファイロファックスのジョッターもインターネットで検索すれば画像が出てきます。
つまり、第14回までの記事では、イラストを描くのに困るシーンはなかったのです。
ところが、今後すべてのネタに現物あるいは資料が揃うとは思えません。
手許にないものは極力ヤフオク等で探していたのですが、入手できないものも多かったのです。
──ちょっと水増ししておきたい。
わたしは年に一度だけ、こうした「買わなかった文房具」を「ビー・ツール・マガジン」から探して記事にすることを思いつきました。
買っていないのですから、もちろん使ったことはなく、本連載の趣旨からは外れてしまうわけですが、それでも当時の空気は伝わるのではないかと──そういうことで押し切った記憶があります。