"【文房具を語る】"カテゴリーの記事一覧
-
1980年代のわたしの想い出文房具を綴る連載。
今回はめっちゃエモーショナルなお話。
初出:2018年1月5日
本製品の発売開始時期は、最初期で1978年。
なので、本来この連載で扱う1980年代からは外れるが、わたしの思い出話につき合って欲しい。
時は、1980年。ところは、とある地方の中学校。
わたしは、級友が使っていた見慣れぬ複合筆記具と出逢った。
平べったいアイボリーのボディ。黒と赤のリリースボタン。黒く大きなノックノブ。そして特徴的な、丸い穴のあいた板状のクリップ。
プラチナ萬年筆の初期型ダブルアクションである。
見たことのない形状と、シャープペンと赤ボールペンという便利な組み合わせ。文房具店の店頭で発見できなかったこともあって、わたしはそのペンと、その持ち主を一年間ずーっと気にし続けた。
右手で持つと、クリップとリリースボタンが持ち主側を向く。
その状態では、上が赤ボールペン、下がシャープペンシルになる。
ペン後部のノックノブはひとつの大きなボタンに見えるが、実際にはふたつあって、ボールペンとシャープペンをそれぞれ繰り出すことができる。
持った状態で下のノックノブを押すと、シャープペンシルが顔を出す。芯を出すためにはさらにノックノブを押す必要があるのだが、シャープペンシルを押し出した後のノックノブは引っ込んでいるため、残っているボールペン側のノブが干渉し、指が大きいとやや押しにくい。
ペン体を収納するためには、本体中央のリリースボタンを押す必要がある。
赤ボールペンを使う場合は、持った状態で上のノックノブを押す。実際にはペンをくるりと裏返さないと──ノブを下にしないと押すことはできない。
そのまま裏返しで書こうとすると、クリップが人差し指に当たるため、またくるりと回し、元の方向に持ち替える必要がある。
シャープペンと異なり、ボールペンはペンの上端から出てくることになる。デザイン上書きにくいと思われるかもしれないが、実はあまり気にならない。ペン先が斜めに切り欠かれており、これが地味に効いているのだ。
ノックノブを両方押し込むこともできる。ただしその場合はペン体が両方出てしまうので、赤ボールペンを使う際には本体をくるりと裏返しにする必要がある。
級友は女性だった。
垂れ目でくせっ毛で、ちょっとつんとした子だった。
わたしはそのペンについて彼女に話しかけることを、いつしか日課にしていた。
彼女との接点は、そのペンの話題だけだった。
そして、その会話が毎日まいにち楽しくて仕方がなかった。
実は、そのダブルアクションは市販品ではなかった。
市販されていたダブルアクションは黒ボールペンとシャープペンシルのツイン仕様で、中央のリリースボタンは両方とも黒。平たいクリップに丸い穴は空いておらず、アイボリーのボディのものもない。
わたしが店頭で見つけられないのも無理はなかった。
それは、旺文社の学習雑誌『小4時代』年間予約プレゼントでしか手に入らない特別なダブルアクションだったのだ。
その事実を知ったのは、2017年になってからだ。
文具王こと高畑正幸氏が、この年オープンしたロフト銀座店で企画した展示と販売の企画「小文具古文具」──その場においてこのアイボリーのダブルアクションを目にしたとき、わたしの疑問は一気に氷解した。
なるほど! 売ってないわけだ!
あと、学研派だった当時のわたしには、旺文社の学習雑誌は情報すら目に入っていなかったのだ。
わたしが彼女にかける言葉は、いつも同じだった。
「かっこいいペンだなあ」
そして彼女は苦笑いしながらダブルアクションを貸してくれて、わたしはそれを受け取りひとしきり文字や絵を描いて返す、という日々が続き──しまいには彼女が音を上げてしまった。
「そんなに好きならあげるよ」
わたしの手元に、アイボリーのダブルアクションがやってきた。
そしてほどなく彼女は、進級と同時に転校していった。
わたしはしばらくダブルアクションを使っていたが、いつしか情熱は消え失せ、気づけばダブルアクションは筆箱から消え失せていた。
本当に欲しかったのは、どっちだったのだろうか。
わたしはペンを見ていたつもりだったが、結果として彼女を見ていたのかもしれない。
昔に戻って、若かった自分に尋ねてみたい気持ちでいっぱいである。
【後日譚】
書こうかどうしようか迷ったエピソードです。
そもそも、このペンが「ダブルアクション」という名前だ、というのがずーっと判らなかったんです。
そして入手方法も。
ところが、Twitterで訪ねたらあっという間に判明し、そして現物もさくッと入手できて──お膳立てがものすごくすばやく完了してしまったんですね。
そしてアイボリーのダブルアクションが手許に来て、本連載が開始されて、ラインナップに組み込まれても、やっぱりわたしはこのエピソードを書くか書くまいか悩んでいました。
あまりに私情が深すぎるから。
でも書いてみて、わかりました。
本当は書きたかったのだ、と。
ここから『ブンボーグ・メモリーズ』は、私情をたっぷり加えた私小説的な展開が増えていきます。それこそは、本来この連載を始める際に決めた記事方針だったのです。
「わたしがその文房具を使って感じたことを、時代の空気とともに面白おかしく描写する」──そのステージが上がった、記念すべき回でした。もう逢うこともないでしょうけど、お元気ですか。わたしにダブルアクションをくれた彼女。 -
1980年代の文房具を懐かしく思い出すエッセイ。
そう、わたしの青春時代は「ノートはコクヨ、シャープ芯は三菱」だったのです。
初出:2017年12月15日
かっこいい、とは何だろう。
かっこよさは、時代とともに流れゆくものだ。
1980年代には1980年代のかっこよさがあったのだ。
80年代は様々なものが革新的に、また飛躍的に進化し、目の前に次々に現れる時代だった。
例えば、映画『スター・ウォーズ』(1977)から始まったSFブームはその後洋画だけでなく邦画、アニメ、テレビ番組の様々な場面に拡がって行き、また小説、漫画といった従来からあったSF作品も80年代になって改めて目が向けられるようになっていく。
映像にも革新がもたらされた。コンピュータ・グラフィックスが単なる想像上のものではなく、映像としてわたしたちの目の前に現れ出したのもこの頃だ。映画『トロン』(1982)はSFとコンピュータ・グラフィックスの融合体として登場し、観客を驚かせた。
また、アメリカとソ連──いまのひとにはソビエト連邦について説明が必要かもしれないが、とにかく80年代は世界の二大超大国が軍事力を背景に緊張を強いられていた時代でもあった。何かあったら戦争は即核兵器の応酬となる、そんな時代を「冷戦の時代」と呼んだが、わたしたち男子高校生はそういった戦争のニオイをミリタリー兵器へのかっこよさにすり替え、戦争ではなく戦闘兵器、メカニックとしての軍事技術に感心を持ったりした時代でもあった。
SF、戦争、メカものとくると、輸入先はたいていアメリカである。英語がかっこいいと思い込んでいる80年代の男の子は、ことのほか英単語を好み、なにかにつけ名称に英語、あるいは英語っぽい名前をつけたがる。
その中でも、この当時かっこいいと思われていたのが、いわゆる英語の略称──イニシャリズムやアクロニムだ。
ニュースでも、よくイニシャリズムやアクロニムを聞くことができた。
ICBM(アイ・シー・ビー・エム:Inter-Continental Ballistic Missile 大陸間弾道弾)
SLBM(エス・エル・ビー・エム:Submarine-Launched Ballistic Missile 潜水艦発射弾道弾)
NATO(ネイトゥ:North Atrantic Treaty Organization 北大西洋条約機構)
START(スタート:Strategic Arms Reduction Talks 戦略兵器削減交渉)
わたしはSF的な漫画を描いていたので、出てくる組織の名前やメカニックシステムをこうしたイニシャリズムやアクロニムで作るのが好きで、いくつも適当な造語を作っていた記憶がある。
特に、アルファベット4文字は格別に美しい。当時は本気でそう思っていた。
だから、いつも使っている三菱uni芯の高級版が出たとき、その名にうっとりとしたのだ。
新しいシャープ芯の名は、GRCT。
正式な名称としては「Hi-uni芯」なのだが、パッケージを見る限り、本製品はどう見ても「GRCT」と言う名の製品だ。
40本入り300円。
今までのユニ芯が40本入り200円だったので、これはかなり高級である。
引き締まった黒のボディ。覗き窓を覆う銀色のグリッドは、どこか『トロン』を連想させる未来的デザイン。
ど真ん中のGRCTロゴは、印刷ではなくシールだ。
パッケージには「GRCTとは何か」は書かれていない。
一番大きな文字が、GRCT。
次がやや控えめに、Hi-uni。
そしてもっと小さい文字で、英文が記載されている。
PRESSURE-PROOFED HI-DENSITY LEADS
しかし、これも「GRCTとは何か」には答えていない。
この英文は、JISマークが印刷されていた時代のuni鉛筆にも書かれているものだ。
GRCTとは関係がない。
GRCTって何だ。
もしかしたら、店頭販売の什器には書いてあったのかもしれない。わたしが気づかなかっただけなのかもしれない。
その後、わたしがGRCTの意味を知ったのは、しばらくして三菱鉛筆のCMをテレビで見てのことだ。
ラジオ番組『ジェットストリーム』や洋画吹替、また各種ナレーションでお馴染みの城達也が、そこでは渋めの声でこう告げていたのだ。
「ジー・アール・シー・ティー──グラファイト・リーインフォースド・カーボン・テクノロジーの成果。芯はまた強くなった」
Graphite(黒鉛)!
Reinforced(強化)!
Carbon(炭素)!
Technology(技術)!
めっちゃかっこいい!
城達也も言ってたよ! 「GRCTの驚異」って! 驚異的なかっこよさだ!
中学の頃からシャープ芯はuni芯一辺倒で、使い潰した芯の本数は枚挙に暇がない。そして高校時代になって現れた高級シャープ芯Hi-uni芯が、ここからわたしのスタンダードとなって授業に、受験に、そして漫画に消費されていく。より折れにくくなったことは事実だったが、それより「もう中坊ではない」というか、高級な芯を使うことにより少しずつ大人に近づいている背伸び感も心地よかったのだろうと思う。
通う高校の周囲には文房具店がなく、校内の購買にあったのは普通のuni芯だった。わたしは密かに鼻を高くした。もっともおおっぴらに鼻を高くしたところで、周囲に理解者はいなかったわけだが。
21世紀の今のシャープ芯は、この当時の高級芯の性能を凌駕しているだろうと思う。濃さも、強さも、おそらく段違いの製品に仕上がっている。
だから、あえてこういった古い芯を探して使わなくとも、各社がしのぎを削って進化させた現在の芯を使った方が、より濃く、なめらかで折れにくいのは間違いない。
ただ、やはり「その製品を選ぶ決定的な部分はどこか」となると、書き味プラスもうひとつ──「選んで買うほどのインパクト」も重要なのではないか。21世紀のナウなヤングにはもう「グラファイト・リーインフォースド・カーボン・テクノロジー!」と言っても衝撃はないかもしれない。そういう尖った部分ではなく、もっと心の内側に暖かく優しく拡がるもののほうが受けがいいのかもしれない。
それでも、やっぱりかっこいいぞGRCT!
【後日譚】
そう、やっぱり英単語の4文字短縮形ってかっこいいのです。
あと、いなかの中高生は文房具に凝ると言っても結局は消耗品であるシャープ芯、消しゴム、ノート以外はそうそう買い換えることもできないし、選択肢も少なかったんですよね。
この連載では取り上げていませんが、わたしの消しゴムは基本的に(株)ホシヤのkeep。これは静岡県民のソウル消しゴムですから論を俟たないのですが、ノートはコクヨのキャンパス二代目(これは第18回で取り上げています)、シャープ芯は三菱で決め打ちだったんですね。
GRCTの前の三菱の芯は、硬質な透明プラのケースで、上半分に黒い樹脂パーツが填まっていて、蓋とロゴ部分がこの黒色樹脂だったんですね。使用後、この黒色樹脂を外して遊んだ記憶があります。遊ぶ、と言ってもただ外したり着けたりするだけなのですが。
ただ、このGRCTパッケージになってからはそれができなくなりました。だからといって旧タイプと同じケースで出たGRCTIIに乗り換えたかというとそんなこともなく、「やっぱり200円の芯より300円に芯の方がかっこいいよな!」と思って継続使用しておりました。
200円と300円、明確な書き心地の違いなどなかったような気もするのですが、やっぱり高い方が高性能っぽいですよね。
そして大学に入学し、田舎にはなかったバラエティに富む各社の文房具を目の当たりにしてわたしの文房具マニア能力は急激に開花していきます。替芯も三菱一辺倒から、ぺんてるのハイポリマー100に移行しております。ごめんねGRCT。 -
1980年代の幻の文房具を語る大河ロマン。
とにかく何でもカードサイズだった時代の回顧録。
初出:2017年12月1日
必要は発明の母、とはよく聴くフレーズである。
だが、わたしにとって必要は「発見の母」である。
発明するほどの知恵はないが、けっこう鼻は効くのだ。
大学に入り、はじめて独り暮らしを経験した。
一年生のときにいた三島市でも、二年生以降に移った東京でも寮だったので、衣食住のうち「食」と「住」に関して心配はなかった。
大学生になってもっとも困難を憶えたのは、「衣」の問題だった。
服を買うこと自体は、店に慣れればどうということもない。日常の洗濯も、これまた慣れの問題だ。
最高に困ったのは、衣服の修繕──ボタンが取れたり、ちょっとほつれたり、といった日常のケアの問題だ。
小学校で裁縫は習った。
まったくできないわけではない。
ボタンが取れたくらいなら、自分で直したいと思う。
でも、自室に裁縫セットを常備するほどの頻度でもない。
むしろ、あれはレスキューツールで、外で使う小型のものがあれば充分だった。
掌に収まるようなコンパクトなものを三島のヤオハンで購入し、うちに置いていてもあまり意味がないと考え、鞄に入れて持ち歩くようにしていた。
だが、やはりわたしはわたしだった。
元来、忘れっぽい性質である。ものも簡単になくしてしまう。
ころりと丸いハンディの裁縫セットは、使われないままいつしか紛失の憂き目に遭っていた。
いざ欲しい! という瞬間に、あいつは側にいないのである。
ちょうどその頃、システム手帳のブームが起きて、文房具業界に新たな製品群が生まれた。
カード型文具、と後に呼ばれるものだ。
だいたいクレジットカード程度の大きさの板状で、ものによって厚みは異なるが、システム手帳のリフィルのひとつ「カードホルダー」に収まるように設計されているのが特徴だ。
バイブルサイズだと、縦に3枚、カードが収まる。
クレジットカード、会員カード、名刺、診察券──カード状のものなら何でもここに収納できるが、カード型文具の登場により、薄型小型になった文房具も収納できるようになった。
この製品群の登場により、わたしの夢がまたひとつ叶うことになる。
すべての情報をシステム手帳に。
そして、すべての生活をシステム手帳に。
この流れで、わたしが本当に欲しいと思った製品が誕生した。
ALLEXの「プレイトン」である。
中心に小型はさみを備え、その左右に安全ピン、まち針、縫い針、縫い糸2種、そして袖用の小型予備ボタンを内蔵した、カード型の裁縫セットである。
これを発見したときは、ちょっと小躍りしたことを憶えている。まさに「我が意を得たり!」の瞬間だった。
そしてプレイトンを得て、わたしのシステム手帳はパーフェクトなものとなった。
これ一冊で生活できる。忘れっぽいわたしでも、ここに必要なものが集約されていれば、使えば必ずもとに戻すし、なくすこともない。これさえ持ち歩けば、困ることはなにもないのだ──と、当時は本気でそう思っていた。
ペンがある。メモがある。スケジュールがある。地図がある。路線図がある。定規もある、電卓もある、カッターもある、切手もある、非常用のお札もある。クレジットカードは持っていなかったけど、テレホンカードとオレンジカードも入っている。
中でもプレイトンは、いざという時本当に役に立つカード型文具だった。
大学で同級の女子たちからも、これだけは「いいな! 欲しい!」と言われたものだ。飲み会で披露したらテーブルの端から端まで回覧され、彼女たちは輝く目で勝手にはさみを取り出したり糸を繰り出したりしていた。その様を、酔っていたせいもあって実に誇らしい気分で見ていたことを思い出す。
日頃、わたしの分厚いシステム手帳そのものは、彼女たちからは理解できない異質なものとして、ちょっと引かれていたのだが。
ここで「ちょっと待った!」という気持ちになった読者もいるかもしれない。
プレイトンはカード型裁縫セットではあるが、カード型「文具」ではないのではないか? と。
その気持ちはよく分かる。
この連載でプレイトンを取り上げた理由は、ふたつある。
ひとつは、本製品が文房具店の店頭でも取り扱われ、当時のわたしがまさしく「カード文具だ!」と認識して文房具店で購入し、使用していた点。
もうひとつは、ALLEXというブランドが、事務用ハサミで著名な林刃物株式会社のものだという点。わたしとしては「ALLEXのはさみが入っているなら安心できる」し、紙でも綺麗に切ることのできるプレイトンの小型はさみは、文房具としてもたびたびわたしを助けてくれたからだ。
ボタンが取れそうになったのをつけ直したい。
服から糸が飛び出しているのを切りたい。
プレイトンを使う機会はだいたいそのふたつだったが、それ以外にも「切りにくい袋やビニールパッケージの切り口を作りたい」とき、刃物を持ち歩かないことが多かったわたしにとって、プレイトンのはさみはレスキューツールであり、文房具そのものだった。
ただ、今から考えると、紙を切ってはいけないはさみだったのかも、とは思う。
それで切れ味が鈍っても、まったくもって自己責任である。
はさみだけの別売りがなかったのだから、もっと大切に扱うべきだろう。二十歳そこそこの自分を叱りつけたい気分である。
あと、何度考えても解せないのは、入っている縫い糸の色が黒と赤の2色だったことだ。
赤い糸ってそんなに頻繁に使うだろうか。
黒以外の糸が白とか紺とかグレーとかなら理解できるのだが、赤い糸を使うほど80年代のひとは赤い服を着ていたのだろうか。
個人的には「かっこいいから」入っていたんだろうと推測しているのだが、真相は闇の中である。
【後日譚】
2017年10月7日(土曜日)。わたしは岐阜県関市にいました。
記念すべき第50回「関の刃物祭り」を見に行ったのです。
そこでわたしは林刃物さんを訪れ、車内見学をさせていただきました。
その際に、会議室の展示にあったこのプレイトンを見て、今回の記事を思いついたのです。
本連載では現物を失っている例が多く、プレイトンもここで出会わなければネタにすることができなかったでしょう。
これを出逢いと言わず何と言えばいいのか!
何でもカードになった時代ではありますが、しかしプレイトンのデザインは現代でもまったく問題なく通用しますよね。また来ないかなあ、カード文具時代。
蛇足ながら、この回から泉の「目の描き方」が変わりました。だから何だ、って感じですが、少しずつでも進化というか「よくしよう」という努力をしてたんだなあ、と今さらながらに感心します。自分のことながら。 -
1980年代は手許に未来がやってきた時代でもあります。
今のみなさんに「フロッピーは文房具だった」と言って通じますでしょうか。
初出:2017年11月17日
なぜそこまで頑迷に防護せねばならなかったのか。
それはデジタルに「儚さ」を感じていたからである。
大学に入って、ワープロを購入した。
富士通のOASYS Lite-K FD20という機種だ。
1986年9月のことだった。
ワープロという名の機械は、2017年の現在もうどこのメーカーも発売していない。
その機能は完全にパソコンに吸収されたと言っていい。
入力専用機としてのポメラはあるが、わたしがここで言う「ワープロ」は狭義の「日本語入力/出力機」のことで、出力とはプリントアウトを指す。
家庭用ワープロが発売された当初、内部メモリに残された入力情報をデータとして外部保存する手段は、すべての機種に装備されていたわけではない。プリントアウトが唯一の出力方法だったものも多かった。
その後、フロッピーディスクドライブを外づけできる機種や、ドライブを内蔵する機種が各社から発売された。
わたしがはじめて買ったワープロは、そのドライブを内蔵した最初期のものだ。
そもそも、フロッピーディスクとは何か。
コンピュータのデータを磁気媒体によって記録あるいは読み出す際に使用される、取り外し可能な樹脂製の円盤のことである。
フロッピーとは「ふにゃふにゃしている」という意味。フロッピーディスクはその名の通り、薄いぺらっぺらの円盤である。最初期に出現した8インチディスクや、その後主流となった5.25インチディスクは封筒のような薄い樹脂製の保護ケースに入っており、持ったときにその柔らかさを実感できたものである。アクセスのための窓からディスクの磁気面が剥き出しだったので、埃に弱い構造でもあった。
80年代初頭より普及していった国産パーソナルコンピュータにおけるデスクトップ筐体には、多く5.25インチディスクが採用されていた。だが80年代半ばより普及し始めた家庭用ワープロは、最初から小型の3.5インチディスクが採用されていた。
ソニーによって開発された3.5インチディスクは、硬いプラスチックのボディと磁気面を守るスライドシャッターが搭載されていた。5.25インチディスクは磁気面が剥き出しだったが、それが3.5インチではシャッターによってそれが守られるようになったのだ。
推理SF研究会に入会し、小説を書くようになったわたしは、書いたデータをせっせとフロッピーディスクに保存していた。
ワープロ各社でフォーマットが異なるため、保存されたデータはそのメーカーのワープロでないと読み出すことはできない。ワープロ本体で専用フォーマットを施し、それからデータを書き込んでいく。
ただ、専用フォーマットと言いつつも、しょせんはテキストである。さほどデータを食うわけでもない。当時普及していた2DDタイプでは容量は1枚当たり720KBしかないが、それでもカタログスペックで約23万文字──小説なら文庫の1冊や2冊、余裕で格納できるものだった。
長編小説、短編小説、エッセイやシステム手帳用フォーマットなど、分類して保管してはいたが、大学生でサークルに参加していた3年間で書いた作品でも、フロッピーディスクが5枚を超えることはなかった。
磁気媒体である以上、何か問題があればデータを読み出すことができなくなる。
ディスクはここにあるものがオリジナルで、バックアップはない。
わたしが買ったそのワープロには、フロッピーディスクをバックアップできる機能がなかったのだ。
内蔵メモリに入ったデータをフロッピーディスクに保存ことはできる。
フロッピーディスクに入ったデータを呼び出すこともできる。
ただ、それは内蔵メモリ7,200文字分に限っての話だ。
OASYS Lite-K FD20は、7,200文字までしか文字を綴ることができない。それ以上はフロッピーディスクに分割して保存せねばならない機種だった。
わたしの小説は会誌に連載する形式だったので、この上限に掛かることなく書くことができた。長いエピソードは章を分けることで対処した。
だが、フロッピーディスクに保存されたデータは、各章ごとでないとワープロに読み込むことはできない。フロッピーディスク1枚分のデータをまるまる読み込むことができないし、ドライブがひとつしかないこのワープロでは、ディスクのコピーができないのだ。
もちろん、ひとつひとつデータを読み込み、ディスクを代えて別のディスクに書き込む──という作業は可能である。しかしながら、それはあまりに面倒くさいし、わたしの性格上どちらが最新のディスクなのかを間違えるに決まっているので、躊躇せざるを得なかった。
つまり、結果として、ここにあるディスクが唯一の存在。データが消えたらおしまいである。
デジタルデータの消失という、今までの人生になかった脅威と戦う必要があった。
敵は──埃と水と磁気、だ。
その当時、部屋にあるのは、狭い机がひとつだけ。
抽斗がないタイプだったので、モノは机上に置くしかない。
机上には必ず埃が舞う。
飲み物を置くことが多いので、転倒により水飛沫がかかる可能性もある。
磁気に関してはマグネット等の物体を近づけないことも重要だが、CDラジカセが常に机上にあったので、スピーカーの影響も看過できない。
所持枚数が多くないので、コンパクトなもので、この3つの敵を遮断できるケースが欲しかった。
ワープロが普及するにつれ、フロッピーケースも各社から数多く発売されていた。
中でも目を引いたのが、キングジムから発売されていたmbシリーズのフロッピーケースだ。
とにかく過剰だった。オーバースペックのフルアーマーケースだ。見た目が無骨で実にかっこいい。
全身が金属でできている。隙間なく覆われた蓋を閉めてさえいれば、埃など入りようもない。
完全防水ではないが、ケースを水没させない限り水滴が内部に侵入することは考えにくい。
金属製のボディは磁気の内部侵入を遮断する。その表面には衝撃に備えバンパー効果を狙った膨らみが設けられている。蓋の内側には分厚いクッションが貼られており、これで仕舞い込まれたディスクにテンションをかけ衝撃を緩和している。
丸く切られた覗き窓から、フロッピーディスクの有無が確認できる。中のディスクが見えるのはいいのだが、ここは磁気遮断における唯一の弱点でもある。ただ、マジンガーZが全身を超合金Zの鎧で覆われていながら、ホバーパイルダーの風防を最大の弱点としている点にも似て、むしろ燃える設定であると当時は思っていた。
完璧だった。
求めている性能の総てがここにあった。
後にワープロだけでなくパソコンを併用するようになってソフトウェアを含むフロッピーディスクの枚数が膨大に膨らむまで、mbケースはメインで使用され続けた。
このケースに入れていたフロッピーディスクで、データ破損したものは皆無だった。
その後、90年代中頃からは執筆マシンがOASYSからMacに代わったため、小説の入ったディスクはMS-DOSコンバートをかけられ、テキストファイル化された。テキストファイルはMacのハードディスクに格納され、オリジナルであるフロッピーディスクは不要となった。Mac用のソフトウェアもフロッピー供給からCD-ROM供給に移行し、フロッピーディスクは手許から次第に姿を消していく。
21世紀に入り、インターネットやイントラネットが普及し始め、軽量なデータを手渡しするスニーカーネットワークも終わりを告げた。フロッピーディスクドライブがついたマシンは、いまわたしの周りには一台も運用されていない。
すでにレガシーとなったフロッピーディスクだが、ここまで過保護に扱われたメディアも珍しいのではないだろうか。OAブームの中、各文房具メーカーも様々なOA関連の製品を生み出していたが、各社とも特徴を出すために工夫をした結果、このような磁気遮断性能合戦のようなことも行われていたのだ。
mbケースは、まさに時代を現す文房具であると言えよう。いま手許にあっても使い道はないが、時代の象徴として手許に置いておきたい逸品である。
【後日譚】
今でも3.5インチ用のmbを探し求めています(この記事を書く際に入手できたのは5インチのものでした)。
そして一番の想い出は、Twitterでこれの話題を呟いた際に、mbのパッケージデザインに関わられたウメグラさんに出逢えたこと。
よもやデザイナーさんに出逢えるとは思ってもいませんでしたので、大感激でございました。その後いちどコミケでご挨拶しただけに留まってしまっておりますが、やっぱり改めてお礼を言いに行きたいですね。まあ昨今のコロナ禍ではそれも叶わぬ夢なのですが。
ワープロが家庭に、そしてオフィスに入り込んだ結果、「OAサプライ」という謎の文化が花開き、無数の消耗品とグッズが販売されました。今ではパソコンとかスマホとかで「消耗品」ってほぼないわけですが(思いつくのって、インクジェットプリンタのカートリッジくらいでしょうか……)、このOAサプライってジャンルの製品は基本的に文房具(あるいは事務用品)扱いだったので、町の文房具店もけっこう潤ったんですよね。年末になるとワープロの印字用インクリボンなんか飛ぶように売れていったわけですし。
そういうのもどこかで記録しておかないといけませんよね。けっこう忘れがちな事実ですが。
というわけで、今でも3.5インチ用は探しております。発見例がありましたらご一報いただけると幸いです。 -
1980年代の文房具を懐かしむ老害ブログ。
今回はいまでも連綿と続くミリペンの王者です。
初出:2017年11月3日
子供の頃から、漫画を描くのが趣味だった。
ただ、プロのようにペン入れしたりトーンを貼ったり、あまつさえ印刷して本にしようなどとはかけらも考えていなかった。
小学校から高校までの間、描いた漫画はノートやルーズリーフに鉛筆やシャープペンシルで描いたものだけだ。
大学受験に失敗し浪人が決定した春休み──そこから娯楽を捨て一年間学業に集中するという意味も込めて、趣味の終止符として初めてオフセット同人誌を編んだ。ペン入れも初めて、トーンも初めて、オフセット印刷による入稿も初めての経験だった。描いたのはオリジナルのSFホラー漫画だ。
あこがれのGペンで、パイロットの製図用インクを使って夢中で線を引いた。丸ペンを使って集中線も引いた。そして、そのコントロールの難しさにむせび泣いた。
浪人で禁欲的な一年を過ごし、さらに三島市の一年生校舎で無駄な一年を過ごしたわたしは、二年生となり晴れて東京の校舎へとやってきた。
向かった先は、サークルの新入生歓迎会だ。
迷うことなく、漫画研究会に入った。
そこは個性的な先輩が多く、また同期である二年生は話しやすいメンバーばかりだった。入部したての五月には、新入生歓迎号と銘打ったコピー誌に漫画を描かねばならない。知り合ったばかりの同期たちと「何を描くか」「どう描くか」「何で描くか」について話をしていたとき、同期のひとりが持つペンに、わたしの目は釘づけになった。
ボディカラーはアイボリー。
銀色のループとクリップが輝くその天冠には、太さを示す数字。
キャップを外せば、金属パイプの先に、ほんの少しだけ顔を覗かせる細くちいさなペン先。
それが、サクラクレパス「ピグマ」との出会いだった。
同期は、ピグマでさらさらとイラストを描いてみせた。
引かれるたびに紙面に生まれる、黒々とした、それでいて繊細な線。
プロはだし、と言うわけではない。ただ、下書きを繰り返し、そこからそーっとGペンで清書をすることしか知らなかったわたしには、その行為はひどく輝いて見えた。
ピグマで直描き──
かっこいい!
あこがれる!
わたしはその足で、大学前の文房具店に向かった。
だが、そこにピグマはなかった。
記憶が正しければ、最初にピグマに出会ったのは、お茶の水駅前にあるレモン画翠か、もしくはいづみや(現在のトゥールズ)だったはずだ。
そこにあるだけの筆記幅を鷲づかみにしてレジに向かった。
水性顔料インクを採用し、紙面でにじまず、耐水性も確保している。
手軽に使うことができながら、イラストなら必要充分な線の細さを確保できるチップ性能。
滑りすぎず、引っかかるわけでもなく、実にコントロールしやすいペン先とインクの組み合わせ。
通常の筆記具と変わらぬ定価で、使い捨てでも気にならないコストパフォーマンス。
枠線は0.8で、書き文字は0.5で、主線は0.3で、細かな書き込みは0.1で。書き分けに慣れると、そのペンを選ぶ瞬間さえも喜びに変わる。
わたしは一気にピグマの虜になった。
それ以来、ピグマは常にペンケースに入っている筆記具となった。
絵を描くときは最初にシャープペンシルが登場するが、それは下書きに過ぎない。フィニッシュではピグマが登場し、漫研メンバーがたむろする学生ホールの一角で描かれるイラストやカットは、ほぼすべてピグマの仕事になった。
漫画研究会の会誌に使用する原稿では、従来通りGペンやさじペンを使用して描いた。会誌は他の漫画研究会との合評会に提出される前提で作成されていた。クオリティも問われるし、自宅でじっくり描くときはペンのほうが集中できたのも事実だ。
でも、会誌のカットや簡単なイラストはピグマで描いた。気持ちの問題だとは思うが、カットやイラストはライトな感覚で描いたほうが気乗りがするのだ。
同時に推理SF研究会に属し、小説の連載もしていたわたしだが、小説のカットも自分で描いた。そのカットのほとんどはピグマで描かれたものだったと思う。
会誌の表紙も描いた。イラスト、カットの点数は記憶にないほど無数だった。手許にそれらがまったくないのが残念である。コピー誌だったのでカットは原稿に貼り込まれ、自分の原稿ですら手許には戻ってこなかったのだ。
朝も、昼も、夜も、描いた。
そんな時、ピグマは間違いなく戦友だった。
ピグマは筆圧に弱く、インクを使い切る前に何本もペン先を潰した。また消しゴムの擦過に弱く、筆記線が薄くなってしまうこともしばしばだった。それが嫌で途中、他のメーカーに浮気したこともある。
それでも最後に残ったのは、いつものアイボリーのボディだ。
何本のピグマがわたしの右手を通過して行ったのか、今となっては知るよしもない。
絵を描く習慣が途切れて、気づけば何十年も経過している。
知らないうちに、ピグマのボディはアイボリーからネイビーに変わっていた。
もうペンを握ることもないかと思っていたが、こうして今、Web連載としてイラストを描いている。
普段はGペンを中心としたつけペンでイラストを描いているが、本稿のイラストはすべてピグマで清書した。
ゼンタングルにも挑戦した。
実に清々しい。気持ちがいい。脳が活性化したような気がする。
アナログで線画を描くこと自体が、21世紀的ではないのかもしれない。
それでもなお、わたしはここであえて言う。
この指先から生まれる線こそが、わたしの描いた線なのだと。
アナログなめんなよ。まだまだいけるぞ。
【後日譚】
サクラクレパスは「世界初」がけっこうあるんですよね。
このピグマも、世界初の水性顔料ペン。
後に出てくるボールサインは、世界初の水性ゲルインクボールペン。
どちらも本当にお世話になった筆記具です。
イラストで一番苦労したのは、やったことのないゼンタングル。
泉が言っていますが、わたしが描くとゼンタングルというより日野日出志になっちゃうんですよね。恐怖!(日野日出志にはリンクは張りません!)
この回のために改めてピグマを買ったのですが、やっぱり慣れませんね紺色の軸……どんだけアイボリー軸で刷り込まれていたのか……