この年末はたいへん久しぶりに実家に帰ったのですが、もう整理されてなくなっていると思っていた自室の机の中から、1970〜80年代の遺跡が発掘されたので、記念写真を撮ってきました。
小学校、中学校、高校と大学時代の一部、と推定される文房具たち。
年代でいうと1973年(昭和48年)から1990年(平成元年)までのものですが、ここにあるほとんどは鉛筆を除けば80年代のものと思われます。
中学から高校にかけて、綴じノートからルーズリーフへのダイナミックな転換があったわけですが、残っているバインダはマルマン、コクヨ、三菱鉛筆と、わりとばらばら。
中に挟まっていたリーフもコクヨとマルマンが半々。
綴じノートは親が買ってくれた時期(5冊パックの安売りのもの)を超えて自分で買うようになってからは、ほぼコクヨCampusで統一されているようです。
今回は荷物になるので、この写真にあるP's BARと『戦え! イクサー1』メモ、あと(文房具じゃないですが)『のらくろ』漫画文庫版のみを東京に持って帰ってきました。
箱の中を漁ってみました。
特筆すべきは、このケシゴム群かと。
東京近郊の方、あるいは大阪近辺の方は違和感があるかもしれません。
そう。MONO消しゴムやRader消しゴムがひとつも入っていないのです。
メインはホシヤのkeep消しゴム。
そこにぺんてるのハイポリマー、コーリンのエキスパート、シードのノンダストや内田洋行の製図用消しゴム、そしてステッドラーのフィルム消しゴムが……。
keep消しゴム、一個えんぴつと癒着しちゃってました。
逆にえんぴつ群は小学校時代(1973年4月〜1979年3月)の名残り。
ひだり二番目と三番目は、学校でよく買わされた名入れ寄付鉛筆。そういえば、最近こういうの見かけませんよね。
ミリペンとマーカーの類いは漫画にペン入れをするようになってからのセレクトと思われるので、この群の中では比較的新しいラインアップのはず。高校生時代から大学生時代(1982年4月〜1990年3月)のもので、東京に来てからのメインであるピグマが入っていないのが地域性なのかなあ、と。
小生は大学一年生までの20年間を静岡県で過ごしたのですが、記憶に間違いがなければ静岡県内の(浜松市と三島市では)文房具店でMONO消しゴムやピグマを取り扱っていなかったのです。
だから小生の遺跡にMONO消しゴムは入っていませんし、ミリペンもファインポイントシステムかドローイングペンに。
面白いですね、地域性って。
PLUS黄金期の輝かしい製品、P's BAR。
静岡新聞/SBS静岡放送記念品名入れバージョンです。
油性ボールペンは書けなくなっていましたが、意外なことに水性ボールペンや蛍光ペンはまだ書けました。すげえなあ日本の筆記具。あ、でも、この頃の筆記具って背面に「Japan」って書いてあってもMADE IN JAPANかどうかは判らないか……。
そしてPLUSのデザインがもっとも尖っていたころのファイリングシステムから、中でもイタリアンカラーなのにアメリカンマッシヴなスタイリングの4穴バインダーシステム「LABBRO」。21世紀でも見劣りしないデザイン、流行らなかった4穴、めっちゃ重いバインダー金具。でも大好きです。
引き出しにもえんぴつが残っていましたが、綺麗すぎますし、児童だった小生が選ぶ柄とは思えないので、このキャメル鉛筆は母が買って後日並べて置いたのだと思います。ホンダシティ定規は愛用していたので憶えています。
あと、これって今でもあるんですかね。縦書き3段レイアウトの手書き原稿用紙。オフセット印刷の小説同人誌を「手書きで」出すための専用原稿用紙なのですが……。
そして文房具ではありませんが、思い出の一品。
プラモデルのもと、幸せのペレット。
何でもらったのかは忘れてしまいましたが、これも静岡県民の勲章みたいなものですかね。
ただのポリスチレンチップの瓶詰めなんですけどね。
実家の滞在時間はわずか一泊二日。
かなりの文房具や玩具は捨てられていましたが、まだいくつか残っているものもありました。
いずれそのあたりも整理した上でネタにしたいと思っております。
たまにはいいですよね、遺跡発掘も。
小学校、中学校、高校と大学時代の一部、と推定される文房具たち。
年代でいうと1973年(昭和48年)から1990年(平成元年)までのものですが、ここにあるほとんどは鉛筆を除けば80年代のものと思われます。
中学から高校にかけて、綴じノートからルーズリーフへのダイナミックな転換があったわけですが、残っているバインダはマルマン、コクヨ、三菱鉛筆と、わりとばらばら。
中に挟まっていたリーフもコクヨとマルマンが半々。
綴じノートは親が買ってくれた時期(5冊パックの安売りのもの)を超えて自分で買うようになってからは、ほぼコクヨCampusで統一されているようです。
今回は荷物になるので、この写真にあるP's BARと『戦え! イクサー1』メモ、あと(文房具じゃないですが)『のらくろ』漫画文庫版のみを東京に持って帰ってきました。
箱の中を漁ってみました。
特筆すべきは、このケシゴム群かと。
東京近郊の方、あるいは大阪近辺の方は違和感があるかもしれません。
そう。MONO消しゴムやRader消しゴムがひとつも入っていないのです。
メインはホシヤのkeep消しゴム。
そこにぺんてるのハイポリマー、コーリンのエキスパート、シードのノンダストや内田洋行の製図用消しゴム、そしてステッドラーのフィルム消しゴムが……。
keep消しゴム、一個えんぴつと癒着しちゃってました。
逆にえんぴつ群は小学校時代(1973年4月〜1979年3月)の名残り。
ひだり二番目と三番目は、学校でよく買わされた名入れ寄付鉛筆。そういえば、最近こういうの見かけませんよね。
ミリペンとマーカーの類いは漫画にペン入れをするようになってからのセレクトと思われるので、この群の中では比較的新しいラインアップのはず。高校生時代から大学生時代(1982年4月〜1990年3月)のもので、東京に来てからのメインであるピグマが入っていないのが地域性なのかなあ、と。
小生は大学一年生までの20年間を静岡県で過ごしたのですが、記憶に間違いがなければ静岡県内の(浜松市と三島市では)文房具店でMONO消しゴムやピグマを取り扱っていなかったのです。
だから小生の遺跡にMONO消しゴムは入っていませんし、ミリペンもファインポイントシステムかドローイングペンに。
面白いですね、地域性って。
PLUS黄金期の輝かしい製品、P's BAR。
静岡新聞/SBS静岡放送記念品名入れバージョンです。
油性ボールペンは書けなくなっていましたが、意外なことに水性ボールペンや蛍光ペンはまだ書けました。すげえなあ日本の筆記具。あ、でも、この頃の筆記具って背面に「Japan」って書いてあってもMADE IN JAPANかどうかは判らないか……。
そしてPLUSのデザインがもっとも尖っていたころのファイリングシステムから、中でもイタリアンカラーなのにアメリカンマッシヴなスタイリングの4穴バインダーシステム「LABBRO」。21世紀でも見劣りしないデザイン、流行らなかった4穴、めっちゃ重いバインダー金具。でも大好きです。
引き出しにもえんぴつが残っていましたが、綺麗すぎますし、児童だった小生が選ぶ柄とは思えないので、このキャメル鉛筆は母が買って後日並べて置いたのだと思います。ホンダシティ定規は愛用していたので憶えています。
あと、これって今でもあるんですかね。縦書き3段レイアウトの手書き原稿用紙。オフセット印刷の小説同人誌を「手書きで」出すための専用原稿用紙なのですが……。
そして文房具ではありませんが、思い出の一品。
プラモデルのもと、幸せのペレット。
何でもらったのかは忘れてしまいましたが、これも静岡県民の勲章みたいなものですかね。
ただのポリスチレンチップの瓶詰めなんですけどね。
実家の滞在時間はわずか一泊二日。
かなりの文房具や玩具は捨てられていましたが、まだいくつか残っているものもありました。
いずれそのあたりも整理した上でネタにしたいと思っております。
たまにはいいですよね、遺跡発掘も。
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