1980年代の文房具を懐かしむ老害ブログ。
今回はいまでも連綿と続くミリペンの王者です。
初出:2017年11月3日
子供の頃から、漫画を描くのが趣味だった。
ただ、プロのようにペン入れしたりトーンを貼ったり、あまつさえ印刷して本にしようなどとはかけらも考えていなかった。
小学校から高校までの間、描いた漫画はノートやルーズリーフに鉛筆やシャープペンシルで描いたものだけだ。
大学受験に失敗し浪人が決定した春休み──そこから娯楽を捨て一年間学業に集中するという意味も込めて、趣味の終止符として初めてオフセット同人誌を編んだ。ペン入れも初めて、トーンも初めて、オフセット印刷による入稿も初めての経験だった。描いたのはオリジナルのSFホラー漫画だ。
あこがれのGペンで、パイロットの製図用インクを使って夢中で線を引いた。丸ペンを使って集中線も引いた。そして、そのコントロールの難しさにむせび泣いた。
浪人で禁欲的な一年を過ごし、さらに三島市の一年生校舎で無駄な一年を過ごしたわたしは、二年生となり晴れて東京の校舎へとやってきた。
向かった先は、サークルの新入生歓迎会だ。
迷うことなく、漫画研究会に入った。
そこは個性的な先輩が多く、また同期である二年生は話しやすいメンバーばかりだった。入部したての五月には、新入生歓迎号と銘打ったコピー誌に漫画を描かねばならない。知り合ったばかりの同期たちと「何を描くか」「どう描くか」「何で描くか」について話をしていたとき、同期のひとりが持つペンに、わたしの目は釘づけになった。
ボディカラーはアイボリー。
銀色のループとクリップが輝くその天冠には、太さを示す数字。
キャップを外せば、金属パイプの先に、ほんの少しだけ顔を覗かせる細くちいさなペン先。
それが、サクラクレパス「ピグマ」との出会いだった。
同期は、ピグマでさらさらとイラストを描いてみせた。
引かれるたびに紙面に生まれる、黒々とした、それでいて繊細な線。
プロはだし、と言うわけではない。ただ、下書きを繰り返し、そこからそーっとGペンで清書をすることしか知らなかったわたしには、その行為はひどく輝いて見えた。
ピグマで直描き──
かっこいい!
あこがれる!
わたしはその足で、大学前の文房具店に向かった。
だが、そこにピグマはなかった。
記憶が正しければ、最初にピグマに出会ったのは、お茶の水駅前にあるレモン画翠か、もしくはいづみや(現在のトゥールズ)だったはずだ。
そこにあるだけの筆記幅を鷲づかみにしてレジに向かった。
水性顔料インクを採用し、紙面でにじまず、耐水性も確保している。
手軽に使うことができながら、イラストなら必要充分な線の細さを確保できるチップ性能。
滑りすぎず、引っかかるわけでもなく、実にコントロールしやすいペン先とインクの組み合わせ。
通常の筆記具と変わらぬ定価で、使い捨てでも気にならないコストパフォーマンス。
枠線は0.8で、書き文字は0.5で、主線は0.3で、細かな書き込みは0.1で。書き分けに慣れると、そのペンを選ぶ瞬間さえも喜びに変わる。
わたしは一気にピグマの虜になった。
それ以来、ピグマは常にペンケースに入っている筆記具となった。
絵を描くときは最初にシャープペンシルが登場するが、それは下書きに過ぎない。フィニッシュではピグマが登場し、漫研メンバーがたむろする学生ホールの一角で描かれるイラストやカットは、ほぼすべてピグマの仕事になった。
漫画研究会の会誌に使用する原稿では、従来通りGペンやさじペンを使用して描いた。会誌は他の漫画研究会との合評会に提出される前提で作成されていた。クオリティも問われるし、自宅でじっくり描くときはペンのほうが集中できたのも事実だ。
でも、会誌のカットや簡単なイラストはピグマで描いた。気持ちの問題だとは思うが、カットやイラストはライトな感覚で描いたほうが気乗りがするのだ。
同時に推理SF研究会に属し、小説の連載もしていたわたしだが、小説のカットも自分で描いた。そのカットのほとんどはピグマで描かれたものだったと思う。
会誌の表紙も描いた。イラスト、カットの点数は記憶にないほど無数だった。手許にそれらがまったくないのが残念である。コピー誌だったのでカットは原稿に貼り込まれ、自分の原稿ですら手許には戻ってこなかったのだ。
朝も、昼も、夜も、描いた。
そんな時、ピグマは間違いなく戦友だった。
ピグマは筆圧に弱く、インクを使い切る前に何本もペン先を潰した。また消しゴムの擦過に弱く、筆記線が薄くなってしまうこともしばしばだった。それが嫌で途中、他のメーカーに浮気したこともある。
それでも最後に残ったのは、いつものアイボリーのボディだ。
何本のピグマがわたしの右手を通過して行ったのか、今となっては知るよしもない。
絵を描く習慣が途切れて、気づけば何十年も経過している。
知らないうちに、ピグマのボディはアイボリーからネイビーに変わっていた。
もうペンを握ることもないかと思っていたが、こうして今、Web連載としてイラストを描いている。
普段はGペンを中心としたつけペンでイラストを描いているが、本稿のイラストはすべてピグマで清書した。
ゼンタングルにも挑戦した。
実に清々しい。気持ちがいい。脳が活性化したような気がする。
アナログで線画を描くこと自体が、21世紀的ではないのかもしれない。
それでもなお、わたしはここであえて言う。
この指先から生まれる線こそが、わたしの描いた線なのだと。
アナログなめんなよ。まだまだいけるぞ。
【後日譚】
サクラクレパスは「世界初」がけっこうあるんですよね。
このピグマも、世界初の水性顔料ペン。
後に出てくるボールサインは、世界初の水性ゲルインクボールペン。
どちらも本当にお世話になった筆記具です。
イラストで一番苦労したのは、やったことのないゼンタングル。
泉が言っていますが、わたしが描くとゼンタングルというより日野日出志になっちゃうんですよね。恐怖!(日野日出志にはリンクは張りません!)
この回のために改めてピグマを買ったのですが、やっぱり慣れませんね紺色の軸……どんだけアイボリー軸で刷り込まれていたのか……
今回はいまでも連綿と続くミリペンの王者です。
初出:2017年11月3日
子供の頃から、漫画を描くのが趣味だった。
ただ、プロのようにペン入れしたりトーンを貼ったり、あまつさえ印刷して本にしようなどとはかけらも考えていなかった。
小学校から高校までの間、描いた漫画はノートやルーズリーフに鉛筆やシャープペンシルで描いたものだけだ。
大学受験に失敗し浪人が決定した春休み──そこから娯楽を捨て一年間学業に集中するという意味も込めて、趣味の終止符として初めてオフセット同人誌を編んだ。ペン入れも初めて、トーンも初めて、オフセット印刷による入稿も初めての経験だった。描いたのはオリジナルのSFホラー漫画だ。
あこがれのGペンで、パイロットの製図用インクを使って夢中で線を引いた。丸ペンを使って集中線も引いた。そして、そのコントロールの難しさにむせび泣いた。
浪人で禁欲的な一年を過ごし、さらに三島市の一年生校舎で無駄な一年を過ごしたわたしは、二年生となり晴れて東京の校舎へとやってきた。
向かった先は、サークルの新入生歓迎会だ。
迷うことなく、漫画研究会に入った。
そこは個性的な先輩が多く、また同期である二年生は話しやすいメンバーばかりだった。入部したての五月には、新入生歓迎号と銘打ったコピー誌に漫画を描かねばならない。知り合ったばかりの同期たちと「何を描くか」「どう描くか」「何で描くか」について話をしていたとき、同期のひとりが持つペンに、わたしの目は釘づけになった。
ボディカラーはアイボリー。
銀色のループとクリップが輝くその天冠には、太さを示す数字。
キャップを外せば、金属パイプの先に、ほんの少しだけ顔を覗かせる細くちいさなペン先。
それが、サクラクレパス「ピグマ」との出会いだった。
同期は、ピグマでさらさらとイラストを描いてみせた。
引かれるたびに紙面に生まれる、黒々とした、それでいて繊細な線。
プロはだし、と言うわけではない。ただ、下書きを繰り返し、そこからそーっとGペンで清書をすることしか知らなかったわたしには、その行為はひどく輝いて見えた。
ピグマで直描き──
かっこいい!
あこがれる!
わたしはその足で、大学前の文房具店に向かった。
だが、そこにピグマはなかった。
記憶が正しければ、最初にピグマに出会ったのは、お茶の水駅前にあるレモン画翠か、もしくはいづみや(現在のトゥールズ)だったはずだ。
そこにあるだけの筆記幅を鷲づかみにしてレジに向かった。
水性顔料インクを採用し、紙面でにじまず、耐水性も確保している。
手軽に使うことができながら、イラストなら必要充分な線の細さを確保できるチップ性能。
滑りすぎず、引っかかるわけでもなく、実にコントロールしやすいペン先とインクの組み合わせ。
通常の筆記具と変わらぬ定価で、使い捨てでも気にならないコストパフォーマンス。
枠線は0.8で、書き文字は0.5で、主線は0.3で、細かな書き込みは0.1で。書き分けに慣れると、そのペンを選ぶ瞬間さえも喜びに変わる。
わたしは一気にピグマの虜になった。
それ以来、ピグマは常にペンケースに入っている筆記具となった。
絵を描くときは最初にシャープペンシルが登場するが、それは下書きに過ぎない。フィニッシュではピグマが登場し、漫研メンバーがたむろする学生ホールの一角で描かれるイラストやカットは、ほぼすべてピグマの仕事になった。
漫画研究会の会誌に使用する原稿では、従来通りGペンやさじペンを使用して描いた。会誌は他の漫画研究会との合評会に提出される前提で作成されていた。クオリティも問われるし、自宅でじっくり描くときはペンのほうが集中できたのも事実だ。
でも、会誌のカットや簡単なイラストはピグマで描いた。気持ちの問題だとは思うが、カットやイラストはライトな感覚で描いたほうが気乗りがするのだ。
同時に推理SF研究会に属し、小説の連載もしていたわたしだが、小説のカットも自分で描いた。そのカットのほとんどはピグマで描かれたものだったと思う。
会誌の表紙も描いた。イラスト、カットの点数は記憶にないほど無数だった。手許にそれらがまったくないのが残念である。コピー誌だったのでカットは原稿に貼り込まれ、自分の原稿ですら手許には戻ってこなかったのだ。
朝も、昼も、夜も、描いた。
そんな時、ピグマは間違いなく戦友だった。
ピグマは筆圧に弱く、インクを使い切る前に何本もペン先を潰した。また消しゴムの擦過に弱く、筆記線が薄くなってしまうこともしばしばだった。それが嫌で途中、他のメーカーに浮気したこともある。
それでも最後に残ったのは、いつものアイボリーのボディだ。
何本のピグマがわたしの右手を通過して行ったのか、今となっては知るよしもない。
絵を描く習慣が途切れて、気づけば何十年も経過している。
知らないうちに、ピグマのボディはアイボリーからネイビーに変わっていた。
もうペンを握ることもないかと思っていたが、こうして今、Web連載としてイラストを描いている。
普段はGペンを中心としたつけペンでイラストを描いているが、本稿のイラストはすべてピグマで清書した。
ゼンタングルにも挑戦した。
実に清々しい。気持ちがいい。脳が活性化したような気がする。
アナログで線画を描くこと自体が、21世紀的ではないのかもしれない。
それでもなお、わたしはここであえて言う。
この指先から生まれる線こそが、わたしの描いた線なのだと。
アナログなめんなよ。まだまだいけるぞ。
【後日譚】
サクラクレパスは「世界初」がけっこうあるんですよね。
このピグマも、世界初の水性顔料ペン。
後に出てくるボールサインは、世界初の水性ゲルインクボールペン。
どちらも本当にお世話になった筆記具です。
イラストで一番苦労したのは、やったことのないゼンタングル。
泉が言っていますが、わたしが描くとゼンタングルというより日野日出志になっちゃうんですよね。恐怖!(日野日出志にはリンクは張りません!)
この回のために改めてピグマを買ったのですが、やっぱり慣れませんね紺色の軸……どんだけアイボリー軸で刷り込まれていたのか……
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