1980年代の文房具事情を21世紀に伝える使命を帯びて。
今回はついに市販品ではない文房具。でも、1980年代を代表する文房具。
初出:2018年2月2日
高校時代までは、ファイリングとはルーズリーフをバインダーに綴じることだった。
だが、大学生になって、それだけでは収集した情報を整理しきれないと悟る。
そのとき、指標になるひとが登場した。
ノンフィクションライター・山根一眞氏の名を知ったのは、どこが最初だっただろうか。
おそらくは雑誌『BOX』か、あるいは著書『スーパー手帳の仕事術』(共にダイヤモンド社)だったか。氏の取材記事がと言うよりは、氏の取材方法とその機材に注目していたのだ。
高校時代までの創作は、ただ単に脳内のあるイメージを絵なり言葉なりで吐き出すだけのものだった。
だが、大学生になり、サークルで長編小説を連載するに当たり、脳内情報だけでは碌なものが書けないことに気づく。
取材と調査が必要だった。
大学生がぽっと思いつきで書く小説である。決して複雑な内容ではない。だが、そこに肉づけを行うためには資料が必要だった。山根氏の記事を読み、触発されたわたしは、自発的な情報収集を手探りで開始していた。
当時、デジタルで情報を得る方法はない。
手元に情報をストックするにあたり、媒体はたいていの場合、紙だった。
方法は3つに大別できた。
1)一次情報に当たり、自筆でメモを取る。
2)風景や物体は写真に撮り、プリントを作成する。
3)雑誌やパンフレットは購入あるいは入手し、手元に保管する。図書館で借りたものなどはコピーを取って保管する。
この大きさや形の異なる3つの紙情報を、ファイリングする必要があった。
山根一眞氏の著書『スーパー書斎の仕事術』(アスキービジネス)に、画期的なファイリングシステムを発見したときは、思わず小躍りしたものだ。
お金もなく、スペースもない貧乏大学生でも、項目別に情報をファイリングできる──それが「山根式袋ファイル」だ。
用意するものは4つだけ。
1)角形2号封筒
2)カッター
3)定規
4)サインペン
まず角2封筒の上端を1.5センチ切り落とす。
そこから小さなマスを3個、大きなマスを1個、定規を使って書いていく。『スーパー書斎の仕事術』にはガイドとなる定規のページが用意され、これをコピーした厚紙を「袋ファイル作成定規」にすることができた。
上の3マスには、インデックスとなる言葉を記入する。ルールは単純で、その下の大きなマスに記入するタイトルの上から3文字をカタカナで書き入れるのだ。例えば、ファイリングする内容が「ブンボーグ・メモリーズ(のネタ)」であるなら、「ブ」「ン」「ボ」と記入すればいい。
できあがったら、あとはここに何でも放り込んでいく。
切り取ったイエローリーガルパッド。
ルーズリーフ。
5×3カード。
パンフレット、リーフレット、カタログ。
雑誌の切り抜き。
コピーを取った資料。
ワープロでプリントアウトした資料。
撮った写真。ネガとプリント。
みるみる膨らんでいく袋ファイルもあるし、薄いままの袋ファイルもあった。
袋が育つのも楽しいし、忘れた頃に中味を点検するのも楽しかった。
小説のネタだけでなく、純粋に当時欲しいと思っていたワープロ、パソコン、カメラのパンフレットやカタログもどんどん袋ファイルに放り込んでいった。自作したオリジナルのシステム手帳用リフィルをストックしたり、満寿屋の原稿用紙を入れたり、とにかく何でもかんでもここに投げ込んで集約していった。
山根式袋ファイルの利点はいくつかある。中でもわたしが実感できたのは、「安価にシステムが組める」ことだ。
自宅から持ち出さない、他者に手渡さないことが前提ではあるが、やや貧乏くさい体でも1枚10円程度(『スーパー書斎の仕事術』では「100枚1組720円」と書かれていたが、さすがにわたしは10枚単位でしか買えなかった)で始められる山根式袋ファイルは本当にリーズナブルで手軽だった。
さらに、特別なファイリングのための場所も必要ない。当時住んでいた学生寮には備えつけのスチール机があり、これの下抽斗がそのままファイリングボックスとなった。角2封筒の上1.5センチを切るのは、この抽斗に角2封筒を収めるための工夫だ。
学生時代に活用した袋ファイルが、現在でも50枚ほど残されている。
途中で破棄したもの、袋が破壊され中味が散逸したもの、バインダーに閉じ直されたもの──紆余曲折はあったが、デジタル環境が整うまでは社会人になっても袋ファイルの個人的な活用は続いた。
パソコンが個人に普及し、インターネットによって情報の共有が可能になった20世紀末、わたしの袋ファイルはその増殖を止めた。
創作のために情報を収集するのに際し、必ずしも実体を伴う紙である必要はなくなっていたからだ。
メモはテキストデータに。
パンフレットや雑誌の切り抜きはフラットベッドスキャナでデータに。
写真はデジカメでデータに。
HDDがそのまま袋ファイルと同じ機能を持つ時代が到来していた。
HDDに入れることの出来ない情報は、ほぼなくなっていた。
そして現在。
2018年3月に出るブング・ジャムの本『この10年でいちばん重要な文房具はこれだ決定会議』のゲラが出版社から届き、わたしは久しぶりに袋ファイルを作成した。
その出版社から届いた角2封筒をそのまま利用して。
懐かしいと思う反面、個人の情報収集はこれでいいんじゃないかという気にもさせられる。今でも実に優秀な文房具であると唸らされる存在である。
【後日譚】
今でも背後の書棚最下段には、当時の山根式袋ファイルが並んでいます。
さすがに劣化が進み、袋の体を成していないものもあるのですが、とりあえず現状維持でそのまま保存しています。
たまに開けると、そこは昭和の世界です。
本来の「情報時代のファイリングシステム」としての機能ではない、アナログアーカイブとしての余生。
それもまた人生──文房具の一生です。
実は、前回までが第一期であるとしたら、今回は「ブンボーグ・メモリーズ第二期」と呼べる変革のあった回でした。
2017年分の原稿料(Web連載にはちゃんと原稿料が出ていました)で、iPadPro(12.9inch/初代)とApplePencil(初代)を導入したのです。
自宅でイラストを描く手間を何とか短縮したいと考えていたわたしは、発売されたばかりのiPadProをすぐさま導入しました。
初めてのデジタル作画です。
ソフトウェアはClipStudioPaintを選択しました。
第15回までは、ケント紙にGペンで描いて、トーンを貼って、それをスキャンしていました。
第16回からは、クリスタを使っています。
慣れてくると、こちらのほうが「作業としては」圧倒的に楽です。
現物があれば、写真を撮って、下絵にすることもできます。
下書きの鉛筆線を消しゴムで消す必要もないですし、レイヤーを分けておけば線画の失敗も回避できます。引きすぎた線は恐る恐るホワイトで消さなくていいし、レイアウトに失敗したら切り出して並べ直すこともできます。トーンも範囲指定して流し込んで一発です。
そう、「作業」を行うなら、クリスタの方が圧倒的に便利なのです。むしろ、この機能を知ってしまった今となっては、もうペン入れする原稿を描く自信がありません。
でも、わたしは未だにクリスタで「落書き」ができません。
落書きはすべて鉛筆かシャープペンシルで、描く先はノートだったり手帳だったりその他の紙だったり。
恐らく「フィニッシュワークが必要なもの」はデジタル(クリスタ)で、「鉛筆やシャープペンシルで書きっぱなしのもの」はアナログなのでしょう。わたしの中では。
ペンを使って、紙の上に描きたいのです。本音は。
でも、作業の効率を考えたら、iPadProとApplePencilでクリスタに直接描いた方が絶対に楽なのです。
わたしはイラストレーターではないので、きっとこの棲み分けは一生変わらないのでしょう。
だって、わたしはイラスト描きである前に、文房具ユーザーなのですから。
紙の上に黒鉛が載っていく、あの感触を求めて生きてきたのですから。
あと、もうひとつ大きな変化が。
バート(万年筆ヘッドのギニョールはそういう名前なのです)の目が「アーモンド型の繋がり目」から「ぱっちり見開いた漫画目(目頭と目尻が線で繋がっていない)」に変わっているのです。
理由ですか? きっと第二期だからキャラデザが変わったんですよ(うそです。理由は忘れました……)。
今回はついに市販品ではない文房具。でも、1980年代を代表する文房具。
初出:2018年2月2日
高校時代までは、ファイリングとはルーズリーフをバインダーに綴じることだった。
だが、大学生になって、それだけでは収集した情報を整理しきれないと悟る。
そのとき、指標になるひとが登場した。
ノンフィクションライター・山根一眞氏の名を知ったのは、どこが最初だっただろうか。
おそらくは雑誌『BOX』か、あるいは著書『スーパー手帳の仕事術』(共にダイヤモンド社)だったか。氏の取材記事がと言うよりは、氏の取材方法とその機材に注目していたのだ。
高校時代までの創作は、ただ単に脳内のあるイメージを絵なり言葉なりで吐き出すだけのものだった。
だが、大学生になり、サークルで長編小説を連載するに当たり、脳内情報だけでは碌なものが書けないことに気づく。
取材と調査が必要だった。
大学生がぽっと思いつきで書く小説である。決して複雑な内容ではない。だが、そこに肉づけを行うためには資料が必要だった。山根氏の記事を読み、触発されたわたしは、自発的な情報収集を手探りで開始していた。
当時、デジタルで情報を得る方法はない。
手元に情報をストックするにあたり、媒体はたいていの場合、紙だった。
方法は3つに大別できた。
1)一次情報に当たり、自筆でメモを取る。
2)風景や物体は写真に撮り、プリントを作成する。
3)雑誌やパンフレットは購入あるいは入手し、手元に保管する。図書館で借りたものなどはコピーを取って保管する。
この大きさや形の異なる3つの紙情報を、ファイリングする必要があった。
山根一眞氏の著書『スーパー書斎の仕事術』(アスキービジネス)に、画期的なファイリングシステムを発見したときは、思わず小躍りしたものだ。
お金もなく、スペースもない貧乏大学生でも、項目別に情報をファイリングできる──それが「山根式袋ファイル」だ。
用意するものは4つだけ。
1)角形2号封筒
2)カッター
3)定規
4)サインペン
まず角2封筒の上端を1.5センチ切り落とす。
そこから小さなマスを3個、大きなマスを1個、定規を使って書いていく。『スーパー書斎の仕事術』にはガイドとなる定規のページが用意され、これをコピーした厚紙を「袋ファイル作成定規」にすることができた。
上の3マスには、インデックスとなる言葉を記入する。ルールは単純で、その下の大きなマスに記入するタイトルの上から3文字をカタカナで書き入れるのだ。例えば、ファイリングする内容が「ブンボーグ・メモリーズ(のネタ)」であるなら、「ブ」「ン」「ボ」と記入すればいい。
できあがったら、あとはここに何でも放り込んでいく。
切り取ったイエローリーガルパッド。
ルーズリーフ。
5×3カード。
パンフレット、リーフレット、カタログ。
雑誌の切り抜き。
コピーを取った資料。
ワープロでプリントアウトした資料。
撮った写真。ネガとプリント。
みるみる膨らんでいく袋ファイルもあるし、薄いままの袋ファイルもあった。
袋が育つのも楽しいし、忘れた頃に中味を点検するのも楽しかった。
小説のネタだけでなく、純粋に当時欲しいと思っていたワープロ、パソコン、カメラのパンフレットやカタログもどんどん袋ファイルに放り込んでいった。自作したオリジナルのシステム手帳用リフィルをストックしたり、満寿屋の原稿用紙を入れたり、とにかく何でもかんでもここに投げ込んで集約していった。
山根式袋ファイルの利点はいくつかある。中でもわたしが実感できたのは、「安価にシステムが組める」ことだ。
自宅から持ち出さない、他者に手渡さないことが前提ではあるが、やや貧乏くさい体でも1枚10円程度(『スーパー書斎の仕事術』では「100枚1組720円」と書かれていたが、さすがにわたしは10枚単位でしか買えなかった)で始められる山根式袋ファイルは本当にリーズナブルで手軽だった。
さらに、特別なファイリングのための場所も必要ない。当時住んでいた学生寮には備えつけのスチール机があり、これの下抽斗がそのままファイリングボックスとなった。角2封筒の上1.5センチを切るのは、この抽斗に角2封筒を収めるための工夫だ。
学生時代に活用した袋ファイルが、現在でも50枚ほど残されている。
途中で破棄したもの、袋が破壊され中味が散逸したもの、バインダーに閉じ直されたもの──紆余曲折はあったが、デジタル環境が整うまでは社会人になっても袋ファイルの個人的な活用は続いた。
パソコンが個人に普及し、インターネットによって情報の共有が可能になった20世紀末、わたしの袋ファイルはその増殖を止めた。
創作のために情報を収集するのに際し、必ずしも実体を伴う紙である必要はなくなっていたからだ。
メモはテキストデータに。
パンフレットや雑誌の切り抜きはフラットベッドスキャナでデータに。
写真はデジカメでデータに。
HDDがそのまま袋ファイルと同じ機能を持つ時代が到来していた。
HDDに入れることの出来ない情報は、ほぼなくなっていた。
そして現在。
2018年3月に出るブング・ジャムの本『この10年でいちばん重要な文房具はこれだ決定会議』のゲラが出版社から届き、わたしは久しぶりに袋ファイルを作成した。
その出版社から届いた角2封筒をそのまま利用して。
懐かしいと思う反面、個人の情報収集はこれでいいんじゃないかという気にもさせられる。今でも実に優秀な文房具であると唸らされる存在である。
【後日譚】
今でも背後の書棚最下段には、当時の山根式袋ファイルが並んでいます。
さすがに劣化が進み、袋の体を成していないものもあるのですが、とりあえず現状維持でそのまま保存しています。
たまに開けると、そこは昭和の世界です。
本来の「情報時代のファイリングシステム」としての機能ではない、アナログアーカイブとしての余生。
それもまた人生──文房具の一生です。
実は、前回までが第一期であるとしたら、今回は「ブンボーグ・メモリーズ第二期」と呼べる変革のあった回でした。
2017年分の原稿料(Web連載にはちゃんと原稿料が出ていました)で、iPadPro(12.9inch/初代)とApplePencil(初代)を導入したのです。
自宅でイラストを描く手間を何とか短縮したいと考えていたわたしは、発売されたばかりのiPadProをすぐさま導入しました。
初めてのデジタル作画です。
ソフトウェアはClipStudioPaintを選択しました。
第15回までは、ケント紙にGペンで描いて、トーンを貼って、それをスキャンしていました。
第16回からは、クリスタを使っています。
慣れてくると、こちらのほうが「作業としては」圧倒的に楽です。
現物があれば、写真を撮って、下絵にすることもできます。
下書きの鉛筆線を消しゴムで消す必要もないですし、レイヤーを分けておけば線画の失敗も回避できます。引きすぎた線は恐る恐るホワイトで消さなくていいし、レイアウトに失敗したら切り出して並べ直すこともできます。トーンも範囲指定して流し込んで一発です。
そう、「作業」を行うなら、クリスタの方が圧倒的に便利なのです。むしろ、この機能を知ってしまった今となっては、もうペン入れする原稿を描く自信がありません。
でも、わたしは未だにクリスタで「落書き」ができません。
落書きはすべて鉛筆かシャープペンシルで、描く先はノートだったり手帳だったりその他の紙だったり。
恐らく「フィニッシュワークが必要なもの」はデジタル(クリスタ)で、「鉛筆やシャープペンシルで書きっぱなしのもの」はアナログなのでしょう。わたしの中では。
ペンを使って、紙の上に描きたいのです。本音は。
でも、作業の効率を考えたら、iPadProとApplePencilでクリスタに直接描いた方が絶対に楽なのです。
わたしはイラストレーターではないので、きっとこの棲み分けは一生変わらないのでしょう。
だって、わたしはイラスト描きである前に、文房具ユーザーなのですから。
紙の上に黒鉛が載っていく、あの感触を求めて生きてきたのですから。
あと、もうひとつ大きな変化が。
バート(万年筆ヘッドのギニョールはそういう名前なのです)の目が「アーモンド型の繋がり目」から「ぱっちり見開いた漫画目(目頭と目尻が線で繋がっていない)」に変わっているのです。
理由ですか? きっと第二期だからキャラデザが変わったんですよ(うそです。理由は忘れました……)。
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