1980年代の文房具に思いを馳せる遠い目のブログ記事。
今回は、そのデザインで生まれた時期が判る、ロングセラーにしてベストセラーなあのノートのお話。
初出:2018年3月2日
子供の頃から、漫画を描くのが好きだった。
最初はただの落書きだったが、見よう見まねながらコマ割りをして漫画らしいものを描くようになったのが、小学校3年生だったと記憶している。
小学生の時、授業でどんなノートを使っていたのかは記憶にない。
ただ、自分がどんなノートに漫画を描いていたのかだけは、はっきりと思い出すことができる。
大抵は、母親が適当に買ってきた、銘柄も罫もばらばらの大学ノートだった。
大学ノートはみな糸綴じで、フラットに開かなかった。綴じ側に漫画を描くとき、押さえつけなければならないものがほとんどだった。
だが、その中に無線綴じのノートが混ざっていた。平たく机に寄り添い、わたしの拙い作画作業をいつも快適にしてくれた。
紙の表面もつるつるしていて、生ゴムだった消しゴムを掛けてもよく消えた。
他の糸綴じノートがゴム掛けに負けて縫い目から破れていくのを尻目に、決して消しゴムの力に負けたりもしなかった。
その名は、キャンパスノート。
初代の登場は1975(昭和50)年。小学3年生だったわたしは、その紙質のよさと無線閉じのすばらしさに酔いながらも、まだキャンパスノートを指名買いするには至っていない。
中学に上がるとノートを自腹で買うようになり、漫画用ノートはキャンパスノートに固定された。
そして1983(昭和58)年──キャンパスノートがリニューアルされる。
わたしが人生で最も使ったキャンパスノートが、この2代目だ。
発売当時、わたしは中学2年生だった。
漫画を描く、といっても決して高尚な趣味ではない。
ただノートにコマ割りをして、思いついたことをシャープペンシルで描き込むだけだ。
下書きもない。
ペン入れもない。
ベタもないし、トーンも貼らない。
毎日、学校から帰ると、自宅でこつこつと漫画を描いた。
夕食後、就寝するまでの間を惜しんで描いた。
徹夜をすることはなかったが、深夜ラジオを聴きながら眠くなるまでひたすら描いた。
右手の手刀部分が真っ黒になるまで描いた。
自腹でキャンパスノートを買うようになってからは、描きやすさから筆が──否、シャープペンシルがさらに進み、冊数が加速度的に増えていった。
描いた漫画は学校に持って行って、級友たちに披露した。
級友たちはみな面白がって読んでくれたし、わたしもそれで満足していた。
描いていたものは、いま見ると稚拙な剽窃漫画に過ぎない。観たテレビアニメだったり、読んだ漫画だったり、すぐに元ネタが判るようなものばかりだ。だが、ストーリーは自分で考えた。その時に自分の中で流行っているものを、自分の中に取り込んでさらに好きなものに変換し吐き出す作業が、本当に楽しかった。
友人をモデルにした巨大ロボット漫画、熱海で買った10色ボールペンをモデルにした宇宙戦艦、沢田研二をウルトラ兄弟にした4コマ、キャッチャーマスクを被った仮面刑事、スーパーマンとスパイダーマン、仮面ライダーの共闘──そんな奇抜さも、級友たちにウケた理由なのだろう。
この頃、よくわたしは自分の中で「文房具合い言葉」を発していた。
シャープ芯は三菱、ノートはコクヨ。
そのくらい心酔し、傾倒していた。
今と違って、豊富な製品群から好みのものを選択する自由はほとんどない。
文房具も、中学校の隣にあるちいさな文房具店の店頭が総てだ。
並んでいるノートは少ない。ファンシー系を除くと、多くても10種類程度だ。
その中でキャンパスノートは群を抜いて上質で、そして高価だった記憶がある。
ノートを選ぶのは個人の自由だが、級友たちの何名かは、わたしが回覧したキャンパスノートの質の良さに感銘を受け、実際に購入していた。
書きやすく消しやすい最高の紙質。
好みの罫を選べ、それが視覚的に判りやすい表紙。
子供っぽくなく、それでいて大人すぎない、シンプルで飽きの来ないデザイン。
「スーパーやディスカウントショップで売ってる束ノートとはやっぱ違うな!」と興奮気味に話し、それに大きく頷く坊主頭の友人が記憶にある。
この頃から、意識はしてなかったが「使ってみて良かった文房具を薦めたい」気持ちは多分に持ち合わせていたようである。
そんなノート漫画も大学に入ってからは描かれなくなり、漫画を描くことは「画稿用紙にペン入れ・ベタ・トーンを施してオフセット印刷に回すこと」とイコールになった。
子供の頃の自由な発想は消え、ちいさくまとまったフィニッシュワークを追い求めるようになり、すぐに己の限界を感じるようになる。
数十冊あったノートも、気づけば手元にまったくない。
楽しかったあの「漫画」を取り戻すことはもうできないのか。
いま、わたしの息子は小学生だが、彼もまた鉛筆で大胆な棒人間の漫画を描いている。コマ割りし、下書きせず、ベタも塗らず、ただひたすらに、ノートに棒人間とモンスターのバトルを描いている。
彼の使うノートは、5代目キャンパスノートである。
息子よ、今を楽しめ。型にはまるな。最高のキャンパスライフを満喫するんだ。
【後日譚】
わたし、実際には初代からの使い手( ^o^)なのですが、本連載はあくまで「1980年代の文房具」が題材──ということで、間違いなく「一番使った」二代目を主人公にして書いた記事でした。
ちなみに二枚目のイラスト、「他故が子供の頃に描いたノートまんがたち」は小学生から大学生までの間に描いたまんがを記憶だけで再現したものですが、まてまてノートまんがじゃないものがけっこう混ざっているぞ!(10キャラ中4キャラはノートまんがじゃない!)
あと、ことしあたり六代目デザイン来てもおかしくないのですが、難しいですかね……。
今回は、そのデザインで生まれた時期が判る、ロングセラーにしてベストセラーなあのノートのお話。
初出:2018年3月2日
子供の頃から、漫画を描くのが好きだった。
最初はただの落書きだったが、見よう見まねながらコマ割りをして漫画らしいものを描くようになったのが、小学校3年生だったと記憶している。
小学生の時、授業でどんなノートを使っていたのかは記憶にない。
ただ、自分がどんなノートに漫画を描いていたのかだけは、はっきりと思い出すことができる。
大抵は、母親が適当に買ってきた、銘柄も罫もばらばらの大学ノートだった。
大学ノートはみな糸綴じで、フラットに開かなかった。綴じ側に漫画を描くとき、押さえつけなければならないものがほとんどだった。
だが、その中に無線綴じのノートが混ざっていた。平たく机に寄り添い、わたしの拙い作画作業をいつも快適にしてくれた。
紙の表面もつるつるしていて、生ゴムだった消しゴムを掛けてもよく消えた。
他の糸綴じノートがゴム掛けに負けて縫い目から破れていくのを尻目に、決して消しゴムの力に負けたりもしなかった。
その名は、キャンパスノート。
初代の登場は1975(昭和50)年。小学3年生だったわたしは、その紙質のよさと無線閉じのすばらしさに酔いながらも、まだキャンパスノートを指名買いするには至っていない。
中学に上がるとノートを自腹で買うようになり、漫画用ノートはキャンパスノートに固定された。
そして1983(昭和58)年──キャンパスノートがリニューアルされる。
わたしが人生で最も使ったキャンパスノートが、この2代目だ。
発売当時、わたしは中学2年生だった。
漫画を描く、といっても決して高尚な趣味ではない。
ただノートにコマ割りをして、思いついたことをシャープペンシルで描き込むだけだ。
下書きもない。
ペン入れもない。
ベタもないし、トーンも貼らない。
毎日、学校から帰ると、自宅でこつこつと漫画を描いた。
夕食後、就寝するまでの間を惜しんで描いた。
徹夜をすることはなかったが、深夜ラジオを聴きながら眠くなるまでひたすら描いた。
右手の手刀部分が真っ黒になるまで描いた。
自腹でキャンパスノートを買うようになってからは、描きやすさから筆が──否、シャープペンシルがさらに進み、冊数が加速度的に増えていった。
描いた漫画は学校に持って行って、級友たちに披露した。
級友たちはみな面白がって読んでくれたし、わたしもそれで満足していた。
描いていたものは、いま見ると稚拙な剽窃漫画に過ぎない。観たテレビアニメだったり、読んだ漫画だったり、すぐに元ネタが判るようなものばかりだ。だが、ストーリーは自分で考えた。その時に自分の中で流行っているものを、自分の中に取り込んでさらに好きなものに変換し吐き出す作業が、本当に楽しかった。
友人をモデルにした巨大ロボット漫画、熱海で買った10色ボールペンをモデルにした宇宙戦艦、沢田研二をウルトラ兄弟にした4コマ、キャッチャーマスクを被った仮面刑事、スーパーマンとスパイダーマン、仮面ライダーの共闘──そんな奇抜さも、級友たちにウケた理由なのだろう。
この頃、よくわたしは自分の中で「文房具合い言葉」を発していた。
シャープ芯は三菱、ノートはコクヨ。
そのくらい心酔し、傾倒していた。
今と違って、豊富な製品群から好みのものを選択する自由はほとんどない。
文房具も、中学校の隣にあるちいさな文房具店の店頭が総てだ。
並んでいるノートは少ない。ファンシー系を除くと、多くても10種類程度だ。
その中でキャンパスノートは群を抜いて上質で、そして高価だった記憶がある。
ノートを選ぶのは個人の自由だが、級友たちの何名かは、わたしが回覧したキャンパスノートの質の良さに感銘を受け、実際に購入していた。
書きやすく消しやすい最高の紙質。
好みの罫を選べ、それが視覚的に判りやすい表紙。
子供っぽくなく、それでいて大人すぎない、シンプルで飽きの来ないデザイン。
「スーパーやディスカウントショップで売ってる束ノートとはやっぱ違うな!」と興奮気味に話し、それに大きく頷く坊主頭の友人が記憶にある。
この頃から、意識はしてなかったが「使ってみて良かった文房具を薦めたい」気持ちは多分に持ち合わせていたようである。
そんなノート漫画も大学に入ってからは描かれなくなり、漫画を描くことは「画稿用紙にペン入れ・ベタ・トーンを施してオフセット印刷に回すこと」とイコールになった。
子供の頃の自由な発想は消え、ちいさくまとまったフィニッシュワークを追い求めるようになり、すぐに己の限界を感じるようになる。
数十冊あったノートも、気づけば手元にまったくない。
楽しかったあの「漫画」を取り戻すことはもうできないのか。
いま、わたしの息子は小学生だが、彼もまた鉛筆で大胆な棒人間の漫画を描いている。コマ割りし、下書きせず、ベタも塗らず、ただひたすらに、ノートに棒人間とモンスターのバトルを描いている。
彼の使うノートは、5代目キャンパスノートである。
息子よ、今を楽しめ。型にはまるな。最高のキャンパスライフを満喫するんだ。
【後日譚】
わたし、実際には初代からの使い手( ^o^)なのですが、本連載はあくまで「1980年代の文房具」が題材──ということで、間違いなく「一番使った」二代目を主人公にして書いた記事でした。
ちなみに二枚目のイラスト、「他故が子供の頃に描いたノートまんがたち」は小学生から大学生までの間に描いたまんがを記憶だけで再現したものですが、まてまてノートまんがじゃないものがけっこう混ざっているぞ!(10キャラ中4キャラはノートまんがじゃない!)
あと、ことしあたり六代目デザイン来てもおかしくないのですが、難しいですかね……。
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