-
1980年代の文房具を思い出して語る、超個人的懐古記事。
1980年代のメガヒット文房具といえばシステム手帳ですが、わたしの語るものはその末席にあったアレでした。
初出:2017年7月21日
1980年代の文房具といえば、システム手帳ブーム抜きには語ることが難しい。
1986年(昭和61年)10月、書籍『スーパー手帳の仕事術』(山根一眞 著・ダイヤモンド社 刊)によってファイロファックスはビジネスマンやクリエイターのマストアイテムとなり、瞬く間にそれはブームとなった。
『スーパー手帳の仕事術』を読み、システム手帳の最高級ブランドであるファイロファックスに憧れたわたしだったが、大学生にとって36,000円の舶来革装手帳は手が届かない存在でもあった。
しかし、システム手帳ブームはファイロファックス単体で発生したものではない。
その後フォロワーである様々なメーカーが、ファイロファックス同様のバイブルサイズ6穴バインダーを次々と発売していく。それと同時にリフィルメーカーも急速に増え、ここで本当の意味でのシステム手帳ブームが到来する。
大学生のわたしでも購入できる、塩化ビニール製のシステム手帳も発売された。「社会人になったらファイロファックス」を合い言葉に、わたしはバインダーではなくリフィルを拡充させるようになる。それも、市販品を購入するのではなく、ワープロでオリジナルリフィルを作る方法で。
1枚に半年分を詰め込んだ左右拡張式スケジュールリフィル、200字詰め原稿用紙、小説設定用プロジェクトリフィル……ワープロがあれば何でもできた。24×24ドットの粗い印字でも、作るのが本当に楽しかった。
ほどなく専門ムック『リフィル通信』がアスキー社から発刊される。その創刊プレゼントに載っていたのが、ファイロファックス・ジョッターだった。
数枚のメモ用リフィルだけを持ち歩きたいと思っていたわたしにとって、このファイロファックス・ジョッターはまさに待ち望んでいたものだった。憧れのファイロファックス純正グッズでもある。
アンケートハガキに自作リフィルを作る大学生であることを記入し、投函した。
続く『リフィル通信スペシャル』に、ファイロファックス・ジョッターのプレゼント当選者としてわたしの名前が載っていた。
以降、社会人となった以降も愛用していたのだが、残念ながら就職後の転勤等で引っ越しを繰り返した際に紛失してしまい、いま手許にファイロファックス・ジョッターはない。
現在、システム手帳のグッズとしてジョッターを用意しているメーカーは存在しない。バイブルサイズのリフィルは大きさも手頃で種類も多く、まだまだ活用できると思っている。ブームは去ってしまったが、どこかで革製ジョッターを発売してくれるところはないものかと、今でも夢見ることがある。
蛇足ではあるが、『リフィル通信スペシャル』には「システム手帳の愛用者・大学生代表」としてわたしのインタビュー記事が写真入りで掲載された。大学生がシステム手帳を使用すること自体がまだ珍しかったのだろう。
たった一年でわたしは、読む側から語る側にシフトしていた。
「オリジナル・リフィルを作るのが楽しい」「僕は文房具ファンです。だからシステム手帳は手放せません」などとドヤ顔で語っているのを見ると、今となっては苦笑するより他にない。
もうこの頃から、わたしは今と変わらぬ文房具マニアだったのだ。
【後日譚】
その後、バイブルサイズのジョッターを製作してくれる革工房を発見しました。
革工房Nauts ジョッター各サイズ
でも、可能なら、やっぱりファイロファックスのジョッターが欲しいんですよね。
昨年はリベンジで、憧れのファイロファックス・ウインチェスターをヤフオクで入手しましたし(豚革ですが)。
30年以上かけての夢ですから、いつかは叶えたいものです。 -
1980年代の文房具をイラストと文章で紹介する「ブンボーグ・メモリーズ」。
その連載第2回は、まさかの変化球──電子文具でした。
初出:2017年7月7日
電子文具と名がつけば、何でも売れる時代があった。
文房具によるアナログ事務処理が時代遅れとなり、21世紀にはコンピュータやワープロ、発達したOA機器によって筆記具と紙がなくなるだろうと予想されていた1980年代後半は、「文房具に代わる、電源が必要な小型情報機器=電子文具」が生まれては消えていった時代だった。
今となっては想像もつかないことだが、電卓に毛が生えたようなものでも10,000円を軽く超える価格がつけられ、続々と市場に登場してきていたのだ。
ワープロの普及に連れて、高額だったオフィスのOA機器もまたパーソナル用に小型化されていく。その流れはその後パソコンの普及によってさらに加速するのだが、しかしながらわたしはこのときまだ大学を卒業し就職したばかりだった。試してみたくとも、それらパーソナルOA機器をもりもりと買うだけの財力はない。
勢い、目は少しだけ価格の安い電子文具に向くようになる。この価格帯なら、ディスカウントショップを利用すれば買えないことはないからだ。
様々な機能を持つ電子文具が登場したが、中でも興味を引いたのは「気圧計内蔵で天気の予測ができる電子文具」だ。
天気予想を内蔵したアメデックスの発売元は、株式会社パイロット(現・株式会社パイロットコーポレーション)。今となっては万年筆とフリクションボールで筆記具メーカーの王道を行くパイロットだが、当時はこういうクセダマもたくさん放っていた。
キャッチコピーは「お天気まかせじゃ社会人失格だ」。営業に出る前に時刻と天気を確認し、帰社して電話をかけるときや名刺整理に電話帳機能を、事務処理などのちょっとした計算は電卓機能を使い、一歩先行く社会人になろう──ということだろうか。
アメデックスの「アメ」は地域気象観測システムAMeDASのことだろうし、「デックス」はインデックス(電話帳機能?)のことと思われる。文房具らしい、いい造語だと思う。
サンプルを試してみたときの天気予想は「WILL BE FINE(晴れるでしょう)」。その日に雨が降った記憶はないので間違ってはいないのだが、このたった一行の情報のためだけに定価20,000円(税抜)は払えないと私は判断した。
面白機能がどういうのもかは判った。もう少し安くなったら検討しよう──しかし、その後アメデックスは割引ワゴン行きではなく店頭から姿を消してしまう。
つまり、わたしが躊躇した定価でもアメデックスは売れたのだ。
こうして、実際に購入された方もいらっしゃるだろう。
表面に名入れできる面が大きいので、この時代特有の「豪華なノベルティ」として──例えば成人式や永年勤続表彰の記念品などで入手した方もいるかもしれない。
いずれにせよ、アメデックスの機能は今となってはスマートフォンがあればまったく不要だ、というところに時代を感じる。
筆記具や紙より先に電子文具の寿命が尽きようとしている、というのもまた皮肉めいている。
予測などつかないのだ。天気だって、文房具の未来だって。
【後日譚】
いきなり買ってない文房具が出ました。
本連載で自分に課したルールは、「使ったことのある思い出深い文房具」。買った文房具、という縛りではありません。
可能な限りジャンルを幅広くしたかったので、筆記具ー筆記具でない文房具ー電子文具あるいは変わり種文房具、といった「最低でも筆記具は3回に1回」みたいなサイクルでネタを用意した連載でした。
しかし、第2回でアメデックスはあんまりです。本当に書きたいものを早期に消費することを恐れた、実に臆病な選択です。ここまでマイナーな電子文具をこんな頭に持ってくるなんて……打ち切りをも恐れぬ鉄の心臓……。
ただ、当時わたしがアメデックスに触れ、アメデックスを欲しがったのは事実でした。2020年現在では信じられないでしょうが、1990年に天気予報を知ろうと思ったら、テレビラジオ新聞の天気予報か、電話(177)による気象庁の予報サービスしかなかったのです。そこに、推測とはいえ、卓上で天気予報ができる電子文具が登場したわけですから。そりゃわくわくしますよね。しませんか。
電子文具の話はもっとたくさん取り上げたかったのですが、残念ながら連載の方が先に終わってしまったんですよね……。 -
というわけで、今日から一話ずつ再録していきたいと思います。
まずは記念すべき連載第1回。
初出:2017年7月3日
まず、「デミタス」が登場する。
市販のホッチキス針No.10は50本でひとつの塊になっている。発売当時、デミタスはこの50本の針を内蔵する、世界最小のホッチキスだった。
デミタスは優秀なホッチキスだった。携帯性に優れ、実用も問題がない。そしてかわいい。デミタスは注目され、若い女性を中心によく売れていた。
次にプラスは、このデミタスを中心とした「OLが持っても恥ずかしくない実用文房具セット」を考案する。
デミタスを中心としたチームなので、本商品は「チームデミ」と呼称された。
このチームデミは、デミタスを上回る大ヒットとなった。
わたしがこの製品を初めて見たのは、大学があった静岡県三島市の文房具店である。
店の外から見える窓越しのチームデミは、明るい赤色をしていた。
スポンジに填まり、整然と並ぶちいさくてかわいらしい文房具たち。しかしそのどれもが「実用品でござい」という顔をして、使ってくれ使ってくれとせがんでいる。
欲しい。猛烈に欲しい。
だが、まだアルバイトも始めていなかった大学一年生には、2,800円(まだ消費税は導入されていなかった)という価格は全くもって手の出ない価格帯だった。
わたしは購入を諦めた。
後日、わたしは地元ラジオ番組へのはがき投稿の景品として、念願の赤いチームデミを手に入れることになる。
製品が発売されたのが1984年、わたしがラジオ番組からチームデミを入手したのが1986年。
わずか2年でチームデミは、地方ラジオ局の名入れ景品に登場していたのだ。
時代はバブル需要に入ろうとするころ──平成景気は1986年12月から始まったとされている──である。以降、バブルが崩壊するまで、チームデミは様々な局面で贈り物や景品に使用された。
そして雨後の筍のように類似品と模造品が市場に溢れ、一時期のディスカウントショップにはセット文具コーナーが生まれるほどの活況を呈することになる。
当時、チームデミに不満がなかったわけではない。
そもそも大きさのわりに分厚い。重くはないが、持ち歩くにはケースに厚みがありすぎる。
それとこれはわたしの貧乏性から来ているのだが、消耗してしまうカッター、メンディングテープ、液体のりがなくなったら補充交換できないので、どうしても使用をけちってしまうのだ。
そんなチームデミが産み出した「小さなモノを持ち歩く」文化は、ミドリの「XSシリーズ」ステーショナリーキットに色濃く残されている
文房具は手許にあって、はじめて真価を発揮する。その際、セット文具は知的生産のレスキューツールとなりうる存在である。デッドウエイトにならない範囲で持ち歩きたいものである。
【後日譚】
第1回はチームデミ、最終回はファクトリーで行こうと決めて始めた連載でした。
そのくらい、当時のわたしはチームデミが好きでしたし、ファクトリーは肌身離さず持ち歩いていました。
1986年はわたしにとって、まさにプラスイヤーでした。それはわたしがチームデミを手に入れた年であり、同時にファクトリーが発売された年でもあります。
それまで筆記具(と言ってもシャープペンシルが主流でしたが)やノート、ルーズリーフはそれなりに選んで使っていたわたしでしたが、それ以外の机上文具には無頓着でした。
しかしプラスというメーカーに出会い、わたしは急激に開眼していきます。いろいろなものが急に見えるようになったのです。バインダーも、クリップボードも、はさみも、デスクスタンドも、プラスの製品で統一されていきました。
1988年にAir-inが登場し、愛用の消しゴムですらプラスの製品になってしまうほどです。
ちょうど、わたしは大学生でした。東京での3年間(東京の本校舎に来たのが2年生からだったので)、わたしの文房具ライフの中心は間違いなくプラスの製品群だったのです。 -
先週なにげなくTwitterのプロフィール画面から「ブンボーグ・メモリーズ」の掲載されているモリイチ京橋店のサイトに飛んでみたんですね。
そしたら、トップページから「森市文具概論」へのリンクがない。
つまり、そのコーナーに掲載されていた「ブンボーグ・メモリーズ」はもう、読めない。
Web上の記事の儚さではありますが、やはり寂しいものです。
「ブンボーグ・メモリーズ」は、わたしのはじめての連載記事でした。それも、自ブログでない、企業のホームページの読み物として。
気合いを入れて書いていたことを思い出します。
ネタは、わたしが文房具好きを認識し始めた1980年代の、わたしの記憶に残る愛すべき文房具たち。
読み返してみると、最初はどう進めていいのかかなり迷いがある文体でした。イラストも手描きだったころは苦労しています。
それでも、隔週連載(途中から月刊)という縛り、さらにイラストと文章という縛り(途中からイラスト2枚を要請されます)から、今までにない緊張感と達成感を味わった楽しい1年半でした。
第1回が2017年7月3日。ネタはプラスのチームデミ。
第2回が2017年7月7日。ネタはパイロットのアメデックス。
第3回が2017年7月21日。ネタはファイロファックスのジョッター。
第4回が2017年8月4日。ネタはぺんてるのまがりんぼーる。
第5回が2017年8月18日。ネタはニチバンのCTくるり。
第6回が2017年9月1日。ネタはカール事務器のゲージパンチ。
第7回が2017年9月15日。ネタはトンボ鉛筆のモノボール。
第8回が2017年10月6日。ネタはアニメックのガンダムカンペンケース。
これ以降、イラストが2枚になります。
第9回が2017年10月20日。ネタは富士ゼロックスの写楽。
第10回が2017年11月3日。ネタはサクラクレパスのピグマ。
第11回が2017年11月17日。ネタはキングジムのmbフロッピーケース。
第12回が2017年12月1日。ネタは林刃物のプレイトン。
第13回が2017年12月15日。ネタは三菱鉛筆のHi-uni芯GRCT。
ここまでが2017年。
続いて、2018年。
第14回が2018年1月5日。ネタはプラチナ万年筆のダブルアクション。
第15回が2018年1月19日。番外編として、買わなかった文房具(※)。
第16回が2018年2月2日。ネタは山根式袋ファイル。
第17回が2018年2月16日。ネタはロットリングのアルトロ。
第18回が2018年3月2日。ネタはコクヨのキャンパスノート二代目。
第19回が2018年3月16日。ネタは京セラのリファロ。
第20回が2018年4月6日。ネタはゼブラのカーディ。
第21回が2018年4月20日。ネタはマルマンのルーズリーフディクショナリー。
これ以降、隔月から月刊連載になります。
第22回が2018年5月18日。ネタはセイコー電子のタイムプリンタ。
第23回が2018年6月29日。ネタはマックスのフラットクリンチHD-10F。
第24回が2018年7月13日。ネタはサクラクレパスのボールサイン280。
第25回が2018年8月17日。ネタはオルファのタッチナイフ。
第26回が2018年9月21日。ネタはセーラー万年筆のまんがペン。
第27回が2018年10月19日。ネタはパイロットのワープロバンク2。
第28回が2018年11月16日。ネタはプラスのファクトリー。
この連載は2年以上続けるつもりでいたので、基本的に「同じメーカーは2年で2回に留める」ようネタ配分をしていました。
毎月2回×12ヶ月×2年で、ネタストックは48本。
なので、第24回でサクラクレパスが、第27回でパイロットが二度目の登場を果たします。
そして第1回はチームデミ、最終回はファクトリーで〆ることは決まっていましたので、第28回でもう一度プラスが出てきます。
基本はわたしが買ったことのある、使ったことのある文房具(電子文具を含む)を想い出と共に語るスタイルです。
途中で「買わなかった文房具」を挟み、ネタの枯渇を防ごうという姑息な技も使っていますけど(※)。
さて。
モリイチさんのHPからリンクが切れたということは、わたしがこのたこぶろぐで「ブンボーグ・メモリーズ」を再録してもいい、ということですよね。
今日から一つずつ、執筆時の思い出なども交えて掲載していこうと思います。
乞うご期待。 -
明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。
毎年1月1日は映画を観に行っております。
2020年一本目は『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』。
映画の内容はここでは語りません。実に良い映画ですので、ぜひ劇場でご覧になって下さい。
で。
今回の話題は、その映画のグッズ。
劇中で回覧板が出てくるのですが、それを模したクリップボードです。
劇中、回覧板がアップになるシーンは二度あります。
最初のシーンがこれ。
すずが北條家に嫁いですぐ、「北條さん」と呼びかけられて自分のことだと気づかないシーンで登場します。
二度目がこちら。
終戦後、配給が途絶えていることを知らせるシーンで登場します。
グッズはこちらの、二度目の登場時の回覧板をベースにデザインされています。
紐を通すタイプの回覧板を再現することはナンセンスですから、ここは金属クリップで正解だと思います。
ただ、作中で二度登場する回覧板が「実は別物である」というのは、劇場でも観て、その後iTunesで購入してからも何度も『この世界の片隅に』を観ているわたしも気づかなかった点でした。
回覧の「覧」の字が異なります。
わたしは、寡聞にして二度目の「覧」の字を知りません。
最初の「覧」は旧字で、辞書を引けばすぐ判ります。
でも、二度目の「覧」は手許の漢和辞書やGoogle検索では判りませんでした。
「臨」に「見」と書くこの「覧」は、実在する漢字なのでしょうか。それとも、回覧板を作成したひとが誤って合字してしまった架空の漢字なのでしょうか。
隣保の阝(こざとへん)がおおざと(右側についている)なのは、そういう記載の揺らぎがあった時代なのだろうと想像することができますけど、二度目の「覧」はどうしてそうなったのか。
該当する部分のコミックスも確認してみました。
原作も、最初の回覧板は旧字の「覧」、二度目の回覧板は「臨」に「見」の「覧」です。
そういう意味では原作通りではあるのですが、こうの先生も片渕監督も、この「覧」が書かれた回覧板を資料上で確認しているから使用されているのだと思います。
わたしはこの漢字が実在するのか(あるいはこの字が書かれた回覧板が実在するのかどうか)を知りたくてたまりません。
きっと、コミックス下巻にある参考文献をひとつひとつ当たっていけば発見できるのでしょう。
またひとつ、人生の宿題ができたような気持ちになっています。
ゆっくりこつこつ調べていきましょうか。ね。