「書く」行為には、少なくとも「書くもの(=ペン)」と「書かれるもの(=紙)」が必要だと思います。
この21世紀の現代では「書くもの」がペンであるとは限らないですし、「書かれるもの」が紙であるとは限りません。
ただ、小生の場合、「書く」とは「指先から紙に書いたときの《書き味》が《喜び》として伝わってくる行為」なので、例えば「iPadにスタイラスでメモを書く」ことは必要に駆られた限定的な条件下でない限り、行わないですね。
書いたものに結果を求めない(書いたものに価値を持たせようとしない)場合も多く存在します。たとえば、このペンの「書き味」を知りたい、楽しみたい、という行為。インキが毛細管現象で紙に吸われていく様を見たい場合。削られた鉛筆の香りを楽しみ、書かれた筆跡が消しゴムで綺麗に消されていく様を見たい場合。
その場合、書かれた文字や絵には意味はないですし、記録しておくような必要性もない。
世間では、それを「落書き」と呼ぶのだと思います。
「必要がない限り書かない」のではなく、「要不要とは関係なく、書くという行為を楽しむ」──そのためには、ペンと紙が常に手許にあることが重要です。
そして、ためらいもなく、書くことも。
どんな手帳を使っても、どんなノートを使っても、それは可能だとは思います。
ただ、「ためらいもなく」は、小生にとってはハードルでした。
モレスキンポケットに気持ちを書き込む「モレスキンライティング」と呼ぶ行為を始めたのが、2006年3月3日。このモレスキンを使い切ったのが、2008年4月1日。
その2年間で意識して行ったのは、「こんなことを書いてどうするのか」「記録したって仕方ないじゃないか」という気持ちを無視する訓練でした。
意外とこのハードルが高いのです。
気軽に書けない。
例えば「およめさんに請われて、会社の帰りにアニメイトに寄って『艦これ』アンソロを買う」なんてのは、後生大事に取っておく「記録」としては不要なものです。
ミッションが終われば廃棄していいTo Doの類いです。
もやもやしたまま、モレスキンライティングは続けられていきます。
モレスキンライティングは、「書かれるもの」をモレスキンポケットから測量野帳に変え、現在も継続されています。
ただ、役割は大きく変わりました。
測量野帳は「日記」になりました。
その日の、その時の気持ちを書くことを中心に、生まれたアイデアを「机上で」書き留める専用の手帳の位置に納まっています。
それ以外の、「場所を問わない総ての書く行為」をカバーしているのが、5×3カードです。
なので、野帳が鞄の中で、机上に5×3カードがあれば、小生は迷わず5×3カードを一枚取り出して、あるいはジョッターを取り出してそれを記入します。
思いついたらその場で書くことが重要なのです。
それをサポートするグッズも増えてきました。
それもまた、小生の理想とする「手で書く喜びを常に持ち歩く」ことへの執念とでも申しましょうか。
カードは気楽です。
綴られた手帳では「これは取っておくようなことか?」と悩んで記入を躊躇っていたことも、カードだったら問題ありませんよね。
本当に要らないものは、捨てればいんですから。
ついに「ためらいもなく」書くことができるようになったのです。
こうして、小生のメモのメインは完全に5×3カードに切り替わりました。
リヒトラブから6月18日に「情報カードケース」が発売になります。
これがいま、欲しくて欲しくてたまりません。
プロジェクトが増え、かなりの枚数の記入済カードを持ち歩く必要が出てきました。
できれば、ケースで持ち歩きたい──その欲求にずばり応えてもらえる可能性のある製品です。
現在、小生はかさばるカードをこうして持ち歩いています。
以前、川越に遊びに行ったときに購入した、布張りの紙製メモケースです。
モレスキンポケットに酷似した大きさで、開くと背の部分にゴムが通してあり、パスポートサイズのメモ帳を挟んでおけるんですね。
これに、コレクトの暗記パースを差し込んであります。
表紙がハードになり、見た目も美しく使い勝手が上がっています。
ただ、これもすでに留めゴムが伸びるほどカードが入ってしまっていますので、やっぱりリヒトの情報カードケース待ちかな、と。
楽しく書いて、楽しく持ち歩いて、楽しく活用する。
今のところ、このサイクルが楽しくて仕方がありません。
この21世紀の現代では「書くもの」がペンであるとは限らないですし、「書かれるもの」が紙であるとは限りません。
ただ、小生の場合、「書く」とは「指先から紙に書いたときの《書き味》が《喜び》として伝わってくる行為」なので、例えば「iPadにスタイラスでメモを書く」ことは必要に駆られた限定的な条件下でない限り、行わないですね。
書いたものに結果を求めない(書いたものに価値を持たせようとしない)場合も多く存在します。たとえば、このペンの「書き味」を知りたい、楽しみたい、という行為。インキが毛細管現象で紙に吸われていく様を見たい場合。削られた鉛筆の香りを楽しみ、書かれた筆跡が消しゴムで綺麗に消されていく様を見たい場合。
その場合、書かれた文字や絵には意味はないですし、記録しておくような必要性もない。
世間では、それを「落書き」と呼ぶのだと思います。
「必要がない限り書かない」のではなく、「要不要とは関係なく、書くという行為を楽しむ」──そのためには、ペンと紙が常に手許にあることが重要です。
そして、ためらいもなく、書くことも。
どんな手帳を使っても、どんなノートを使っても、それは可能だとは思います。
ただ、「ためらいもなく」は、小生にとってはハードルでした。
モレスキンポケットに気持ちを書き込む「モレスキンライティング」と呼ぶ行為を始めたのが、2006年3月3日。このモレスキンを使い切ったのが、2008年4月1日。
その2年間で意識して行ったのは、「こんなことを書いてどうするのか」「記録したって仕方ないじゃないか」という気持ちを無視する訓練でした。
意外とこのハードルが高いのです。
気軽に書けない。
例えば「およめさんに請われて、会社の帰りにアニメイトに寄って『艦これ』アンソロを買う」なんてのは、後生大事に取っておく「記録」としては不要なものです。
ミッションが終われば廃棄していいTo Doの類いです。
もやもやしたまま、モレスキンライティングは続けられていきます。
モレスキンライティングは、「書かれるもの」をモレスキンポケットから測量野帳に変え、現在も継続されています。
ただ、役割は大きく変わりました。
測量野帳は「日記」になりました。
その日の、その時の気持ちを書くことを中心に、生まれたアイデアを「机上で」書き留める専用の手帳の位置に納まっています。
それ以外の、「場所を問わない総ての書く行為」をカバーしているのが、5×3カードです。
なので、野帳が鞄の中で、机上に5×3カードがあれば、小生は迷わず5×3カードを一枚取り出して、あるいはジョッターを取り出してそれを記入します。
思いついたらその場で書くことが重要なのです。
それをサポートするグッズも増えてきました。
それもまた、小生の理想とする「手で書く喜びを常に持ち歩く」ことへの執念とでも申しましょうか。
カードは気楽です。
綴られた手帳では「これは取っておくようなことか?」と悩んで記入を躊躇っていたことも、カードだったら問題ありませんよね。
本当に要らないものは、捨てればいんですから。
ついに「ためらいもなく」書くことができるようになったのです。
こうして、小生のメモのメインは完全に5×3カードに切り替わりました。
リヒトラブから6月18日に「情報カードケース」が発売になります。
これがいま、欲しくて欲しくてたまりません。
プロジェクトが増え、かなりの枚数の記入済カードを持ち歩く必要が出てきました。
できれば、ケースで持ち歩きたい──その欲求にずばり応えてもらえる可能性のある製品です。
現在、小生はかさばるカードをこうして持ち歩いています。
以前、川越に遊びに行ったときに購入した、布張りの紙製メモケースです。
モレスキンポケットに酷似した大きさで、開くと背の部分にゴムが通してあり、パスポートサイズのメモ帳を挟んでおけるんですね。
これに、コレクトの暗記パースを差し込んであります。
表紙がハードになり、見た目も美しく使い勝手が上がっています。
ただ、これもすでに留めゴムが伸びるほどカードが入ってしまっていますので、やっぱりリヒトの情報カードケース待ちかな、と。
楽しく書いて、楽しく持ち歩いて、楽しく活用する。
今のところ、このサイクルが楽しくて仕方がありません。
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