たこぶろぐ

ブンボーグA(エース)他故壁氏が、文房具を中心に雑多な趣味を曖昧に語る適当なBlogです。

2021年12月新刊:「デンパ女と文具ガール2」冒頭試し読み



 プロローグ 二〇二一年一〇月一六日(土曜日)


「『居酒屋〈喜望峰〉バッカス支店』、開店だ〜!」
 賑やかなテーマソングが流れ出す。パーシー・フィエスの「ペリカン・ダンス」だ。
 そして八秒ほど経ち、音楽が絞られる。
「いらっしゃ〜い。居酒屋〈喜望峰〉へようこそ〜。あたしが店長のバッカス、三〇代独身だよ〜。うっさいわ、相手ならここにいるから!」
 ハスキーで気だるげな声が、ラジオから流れ出す。
「あはははは! いらっしゃいませー。まゆ、ぴっちぴちの女子大生でーす。わたしはバッカスの嫁になった憶えはないんだけどなー」
 こちらは元気いっぱい、若さを満喫した声だ。
 彼女らの掛け合いの背後には、ざわざわとした店内の音がかすかに重なる。かちゃかちゃとグラスが鳴らされる音。店の隅からは、わははと太い笑い声が聞こえてくる。
 そう、ここは陽気な仲間が集まる居酒屋──そういう設定のラジオ番組。
「しかしまゆも文房具のコーナーだけだったはずなのに、気づいたらオープニングからエンディングまでずーっとずーっと喋ってるよね〜。いやしかも困ったことに、キミ人気あるんだよホント」
「なんで困るんですか」
「あたしより人気あったらあたしが困るだろ〜! メールも来てるんだから〜! ラジオネーム、まーくつーぐれいおんさんから。バッカス姐さん、まゆちゃん、こんばんは」
「こんばんは!」
「小生はラジオが好きで、いわゆる県域放送はAMでもFMでもたいてい聴いてますし、コミュニティFMも大好きです」
「県域って何ですか」
「まゆ、話の腰を折るのが上手いねえ〜。ここでいう県域放送っていうのは、簡単に言えば県内ぜんたいに電波が届く放送局のこと。東京で言うと、ラジオ首都みたいな大御所」
「ほほう」
「永年いろいろ聴いてきましたが、中でもこの『居酒屋〈喜望峰〉』はトップクラスの乱痴気騒ぎで、まるで若い俺たちの全部を吐き出しているみたいで大好きです」
「ええ……どういうこと?」
「東京ビートルズに『ツイスト・アンド・シャウト』って歌があってだな……まあいいや。で、バッカス姐さんのスローで気の抜けた語りを上回るまゆちゃんのボケと謎突っ込みと弾けた笑いが大好きなのです。まゆちゃん、いつまでもその素人っぽい天真爛漫さをなくさないでくださいね〜、と」
「ありがとうございます……これって褒められてるのかな……」
「べた褒めですね〜。バッカス読んでて恥ずかしくなっちゃうわ!」
「マジすか! あはははは!」
「それ! その〈まゆ笑い〉がキミのチャームポイントだよ! というわけで、曲はもちろんこれだ!」
 曲紹介なしに、いきなりイントロが挿入される。東京ビートルズの「ツイスト・アンド・シャウト」だ。
 口にしたビールの缶をいったん離し、寺島まゆは凝っとラジオを見つめる。
 まゆは、自分が出ているラジオ番組を聴くのが好きだった。『居酒屋〈喜望峰〉バッカス支店』は生放送ではない。ラジオ番組は生放送が目立つので勘違いされやすいのだが、収録され編集された録音済みの番組も数多くある。だからまゆは自分が出演しているラジオを、六畳のアパートで聴くことができるのだ。
 それは、ちょっとしたきっかけからだった。大学進学のために東京にやってきて、最初にまゆを襲ったのはコロナ禍による登校不能と自宅からのリモート授業だった。ひとと話せない彼女の鬱屈を晴らしてくれたのが、区によって支給された防災ラジオであり、そこから流れるコミュニティFM〈みなさまのエフエム〉だったのだ。
 まゆはその魅惑的な放送に酔いしれ、不本意ながら興奮状態で番組にメールを出し、それがパーソナリティであるDJバッカスの目に留まって、こうしてリスナーだった番組に登場することになったのだが──
「バッカス、相変わらずリードがうまいよなあ……」
 〈インドの青鬼〉を机上に置き、まゆは空いた両手を顎の下に組んだ。
「ホント、上手……」
 その組まれた指の上に、顎を乗せる。目はラジオから離さない。ややうっとりとした目つきのまま、焦点をあえて曖昧にして想いにふける。
 最初は、まゆの文房具好きが買われての登場だった。バッカスの番組『居酒屋〈喜望峰〉バッカス支店』は六〇分番組だが、その中に「とっておきの情報コーナー」と名づけられた時間帯がある。バッカスが毎回、自分にとっての情報をセレクトして話すリスナー無視のコーナーだったのだが、まゆが聴き始めたころからそこは常に文房具を紹介するコーナーになっていた。
 まゆはそのバッカスの文房具語りをいたく気に入り、わたしも文房具大好き、自分もラジオで語ってみたい──と大それたメールを送ってしまったのだ。
 そして念願叶って彼女はバッカスの番組で自らの文房具体験を語り、それがレギュラーとなって、コーナー名は「バッカスとまゆの秘密の文房具部屋」に変わった。
 ところが、まゆの人気は彼女の意に反し急上昇。まゆにもっと登場の場を与えて欲しいというリスナーのメールが相次ぎ、いつの間にかまゆは番組全体のアシスタントとなり、そしてこの秋からはついにツインパーソナリティの地位にまで登り詰めたのである。
 だが、まゆはそういった自分の境遇について、大した興味はなかった。そもそもまゆは「有名になりたい」という野心はなく、ただひたすらに「喋りたい」だけなのだ。その「喋りたい」を「つねにラジオに向かって独り言を言う異常者」から救済し合法化してくれるのが、ラジオパーソナリティという立場だというだけのことだ。
 彼女もバッカスも覆面DJという扱いで、バッカスはプロでありながら顔写真すら番組ホームページに掲載されていない。またまゆも、学生であることから本名や素顔をネットに上げたことはなかった。熱心なファンによるネット上での捜索活動も漏れ伝わってきてはいたが、幸いなことに今のいままで身バレしたことはなかった。
 もっとも、まゆはそこも達観している。身バレしたところで大した影響はないだろうし、自分は美人でも魅力的な外観でもない。そもそも区内でしか聴けないコミュニティFMのいち番組に出ているだけでファンから追っかけられるようなことにはならないだろう、と高をくくっていたのだ。
 ラジオの聴取率は低い。テレビとは較べものにならない。さきほど放送で言われていた県域放送のような大規模なラジオ局の番組であったとしても、リスナーは限定的だ。ましてや、まゆは芸能人ではない。ただのはしゃいでいる女子大生なのだ。ラジオを続けて永いバッカスですら、ファンレターと呼べるものは数えるほどしか来ない世界であることを、まゆはこの一年あまりで目の当たりにしている。
 だから、わたしは気負うことなく、のびのびとやっていられるのだ──まゆはまた一口、〈インドの青鬼〉をすする。芳醇な香りが鼻腔を擽る。ほぼ常温だが、まゆはこの香りと味わいが好きだった。呑むと、バッカスの側にいるような気持ちになれるからだ。
 思い出と直結した味や香り──まゆはまたピントをラジオに戻す。
 すでにCMが明け、次のコーナーが始まっていた。
「さて、緊急事態宣言があけて、ようやく世の中に動きが戻ってきましたね〜。この夏はホントやばかったよね〜、感染者も東京は最大でいちにち五〇〇〇人超えたこともあったもんな〜。それが今や連日一〇〇人台で減少中、と。いやまあホントよかったですよ〜。みなさまもまだまだ気を抜かず防衛中かと思いますけど、居酒屋〈喜望峰〉リアル店舗は酒類提供を再開してみなさまをお待ち申し上げておりますよ!」
「こないだ、はじめてお伺いしたんですよねリアル店舗。バッカスといっしょに。あれ美味しかったなあ、岩下の新生姜の豚肉巻き!」
「ああ、いいねえ〜。ビールのお供に最適だよね〜。まゆは自宅ではお酒やるんだっけ?」
「わたしは……ラジオを聴くときだけ。それも、バッカスの番組を聴くときだけって決めてるんです」
「ほえ? それまたなんで?」
「もちろん、お酒に流されないため……自宅でだらだらと呑まないためなんですけど。そうやってルールを決めておけば、節制できるでしょ?」
「くわぁ、真面目だねえキミは。あたしゃ暇さえあれば呑んでるよ〜。だから自他共に認めるバッカスなんだけどさ〜」
「お酒もほどほどにね……でも、わたしはお酒が好きだからお酒を呑んでるんじゃないんです」
「どゆこと?」
「わたしは、お酒を呑むとバッカスを思い出すんです」
 まゆはくすりと笑う。
 聴いているまゆも、くすりと笑う。
「はじめてお酒をいっしょに呑んだ相手がバッカスで、はじめてわたしの気持ちを真剣に聞いてくれたのがバッカスで、はじめてラジオで喋ったのも相手がバッカスで──その時に呑んだお酒の香りや味が忘れられないんです。呑むと、バッカスを思い出すんです。だから、呑むときは、バッカスといっしょのときだけ。自宅で呑むときは、バッカスのラジオを聴くときだけ」
 またまゆは笑う。リスナーに好評の「まゆ笑い」ではない。もっと作為のない、もっと自然な笑いだった。
 そんなまゆの笑いに、まゆは真剣に答えるのだった。
「ラジオでそんなこと言っちゃだめだよ、まゆ……」
 軽く頬が火照っているのは、酔いのせいなのか。
 それとも。
「また明日、バッカスには会えるんだから……」
 心はすでに、明日の収録に飛んでいた。

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