たこぶろぐ

ブンボーグA(エース)他故壁氏が、文房具を中心に雑多な趣味を曖昧に語る適当なBlogです。

2020年12月新刊:「デンパ女と文具ガール」冒頭試し読み



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 それまでも、おしゃべりな人間だという自覚はあった。
 クラスで目立つ存在ではない。勉強は中の下、運動はからっきし。容姿は凡庸で、大きな眼鏡をかけ癖の強い黒髪をわさわささせている。中肉中背でメリハリのない体躯で、流行には鈍感で、好きな服のブランドもないし、アイドルやタレントやスポーツ選手を追いかけることもない。では映画やアニメや漫画は、と言われてもクラスで流行っているものを囓る程度。好きな男子ができた試しもない。
 寺島まゆは、「好き」という激情を知らぬ中学生だった。
 唯一好きと自覚できるのは、おしゃべりだけである。
 特に興味ある話題を持っているわけでもないのに、とにかく級友に話しかける。些細なことで笑い、泣き、突っ込みを入れ、突っ込み返される。
 兎にも角にも、まゆはしゃべらないと気がすまない性質だった。
 八月、塾の集中講義を受けた際にまゆは「君のおしゃべりは授業を妨害する」と言われ、二日目以降の参加を拒否され授業料を封筒で突っ返された。
 まゆは、ここではじめて不安になる。学校でももしかしたら、みんなに迷惑がかかっていたのでは──夏休みが明けてクラスメイトに正すと、全員が全員、半笑いを浮かべながらこう言うのだ。
「いやほら、まゆはしゃべってないと死んじゃうでしょ。たぶん。少なくとも私はそう思ってた」
 わたしは皆の優しさで生かされている──まゆは大いに反省し、試しに九月の一ヶ月間は授業中、意識して黙ってみることにしたのだ。
 そしてそこで、彼女は気づく。わたしは口でしゃべってなくても、脳内でずーっとしゃべっている──思考を会話として、まるで誰かに話しかけているような感じで、ずーっとずーっとしゃべり続けている。
 黙るとどうなるかは判った。しかし、友人の言うこともまた事実だった。彼女は授業が終わるや否や、休み時間じゅう息継ぎも惜しんでしゃべり続けた。脳内に響いている言葉を、溜まってしまった言葉を、彼女は吐き出さねばならなかったのだ。
 塾は行きづらくなって辞めてしまった。両親は迫る高校受験のことをたいへん心配したが、最終的には通信教育で補うことに同意してくれた。自宅で問題集を解きながらなら、どれだけしゃべっても周囲に迷惑はかからない──まゆもそう思っていた。
 だが、違うのだ。まゆは独り言を言いたいのではなかった。彼女は、誰かに言葉を聞いて欲しくてしゃべっているのだ。自室でぶつぶつ呟きながらテキストを埋めていっても、まゆの心はまったく晴れない。それどころかフラストレーションが溜まり、爆発しそうになるのだ。
 なので彼女は、代替案を考えた。
 両親としゃべる。
──最終的には小言を返されるようになって、嫌になる。
 友人と電話する。
──互いに受験生である。相手もいい顔をしなくなった。
 しゃべってもいい塾を探す。
──そんなものはない。
 学校で「しゃべり溜め」ができるか試す。
──無駄な努力というか、帰宅してもっとしゃべりたくなる自分を抑えきれなくなった。
 語りかけ続けてもいい家庭教師を募集する。
──家庭教師は三日目に怒って来なくなってしまった。
 そんな中、いくつか試してみた案のうち、ひとつだけ奏功したものがあった。
 ラジオである。
 ラジオを聴いて、それに応える。パーソナリティーに話しかけるのだ。もちろん、まゆの言葉に対する直接的な返事はない。だが、まゆはまるで会話を楽しむように、ラジオに向けて言葉を発することができた。彼女の脳内では、それは一方通行の会話ではないと認識されているようだ。
 ラジオはリスナーに寄り添う、と言われている。それは、テレビにはない特徴だった。中でも若者向けの投稿番組は、よりリスナーに向けて言葉を発する。まゆは、ラジオから流れてくるその言葉が自分個人に向けてでないと判っていても、他の番組よりシンクロ率が高いと感じていたのだ。
 ナイタークッションだったローカル放送局の投稿番組が終了したときは悲しかったが、翌月彼女は運命の出会いを迎える。
 一〇月から、『青春スタジオ・トゥエンティーワン』が始まったのだ。
 月曜日から金曜日までの帯番組で、毎晩二一時から一時間の構成だ。東京にあるラジオ首都をキーステーションとし、全国のAMラジオで聴くことが出来る。受験生を応援する内容で、日替わりのパーソナリティーがそれぞれの特徴を持って番組を作り上げていた。
 まゆのお気に入りは、水曜日の若林アナだった。入手一年目の新人だが、新人であるが故のフレッシュさと受験生への年齢の近さもあり、まるで自分のことのように受験生の気持ちを代弁してくれる佳き姉的な存在だった。
 そして他のバーソナリティにないコンテンツが、まゆの興味を一段と引いたのだ。
 若林アナは、受験生の勉強に役立つ文房具について、毎週五分ほどを割いていた。
 それは最新文房具というよりは、彼女が使ってきて良かったと思う文房具がメインだった。
 まゆは若林アナがお薦めする文房具を総て購入し、使い込み、そして──どんどん文房具が好きになっていった。
「こんばんは。かなり寒いですね。みんな、風邪ひいたりしてませんか? 元気出して行きましょう。高校受験の子たちはもうすぐ受験ですね。大学受験もあとちょっと。センター受ける子はラストスパートかあ。めげない、負けない、諦めない! 今夜も勉強しながら、ちょっとだけ耳を傾けてください。『青春スタジオ・トゥエンティーワン』、水曜日のパーソナリティーはラジオ首都の若林青葉です」
 まゆの耳に、今夜も明るくすがすがしい声が届く。部屋はオイルヒーターによって暖房されているが、それでもまだ寒い。まゆはジャージの上からフリースを着込み、背筋をぴんと伸ばしてきっちりと椅子に掛けている。
「ありがとう青葉さん、わたし頑張るよ!」
 まるでそれが自然な会話であるかのように、まゆはパーソナリティーに話しかける。その間でも目はノートから離れないし、シャープペンシルは走り続けている。
 その手にあるのは、黒光りする重厚な製図用シャープペンシル──ぺんてるのグラフ1000フォープロだ。
 あれから四ヶ月、まゆは今まで持っていたシャープペンシルをすべて抽斗に仕舞い込み、ただひたすらこのグラフ1000で受験勉強に勤しんでいた。
 まゆは若林青葉という新人アナウンサーの語りから、彼女は自分の本当の「好き」を見つけつつあった。
「ラジオ、文房具、おしゃべり。いつかは東京に出て、若林さんと文房具についておしゃべりしてみたいなあ……」
 そんな淡い夢を見るようになった寺島まゆは、この時まだ中学三年生である。

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