たこぶろぐ

ブンボーグA(エース)他故壁氏が、文房具を中心に雑多な趣味を曖昧に語る適当なBlogです。

【ブンボーグ・メモリーズ】第23回:フラットクリンチHD-10F(マックス)
1980年代は発明と呼べるような文房具もたくさん生まれた時期でした。
これなど、まさに発明です。

初出:2018年6月29日

 時は西暦1987年──元号で言えば、昭和62年。
 東京で大学生となったわたしは、推理SF研究会と漫画研究会というふたつの創作系サークルを掛け持ちしていた。
 推理SF研究会は、オリジナル小説を書いて会誌で発表するサークル。
 漫画研究会は、オリジナル漫画を描いて会誌で発表するサークル。
 ただ原稿を書くだけではない。会誌を発行するという、編集作業と製本作業が毎月のように行われていた。
 推理SF研究会の会誌は、テキスト中心でありながら毎回100ページに迫るコピー誌だった。
 漫画研究会の会誌も100ページ近かったと記憶している。学祭で販売していた本だけはオフセット印刷だったが、それ以外の会誌はコピー誌だ。
 そういった正会誌だけでなく、例えば新入生歓迎号、新入生の自己紹介本、合宿のしおり、その他の企画号外などで、もっとページ数の少ない、薄いコピー誌を作ることも頻繁にあった。

 コピー誌の場合、B4で両面コピーされた紙を半分に折り、丁合していく。綺麗に揃えたらホッチキスで綴じ、表紙となるやや厚手の紙を木工用ボンドや両面テープで貼り込む。そして最後に、端を断裁する。サークルに断裁機などないので、金属製の直尺を当ててカッターでざくざく切っていく。
 この作業でキモだったのは、実はホッチキスだった。
 3号針(大型ホッチキスの針)を使う場合でも、そこまで厚くない本に10号針(一般的なハンディホッチキスの針)を使う場合でも、綴じてから表紙を貼る前にしなければならない作業があった。
 ホッチキスの針先は、綴じるべき紙を貫通し、その先にあるホッチキスの底面──「クリンチャ(曲げ台)」と呼ばれる金具にぶち当たる。
 クリンチャで先がくるりと内側に曲げられ、眼鏡橋のように丸まって先端が最終紙面にめり込む。
 この「眼鏡橋のアーチ」を潰さないと、製本後に表4(冊子の裏表紙)から出っ張った金具が浮き出てしまい美しくないし、ここが擦れて汚れたり破れてしまったりする。
 われわれはこの「眼鏡橋のアーチ」を、ハンマーで叩いて平たくする必要があったのだ。
 通称、「山を潰す」。これが、地味に面倒くさい。
 だが、求めれば与えられるのが、この文房具業界である。
 この作業を不要にする画期的な製品が、同じ年に生まれた。

 マックスのHD-10F《フラットクリンチ》だ。

 ホッチキスの針が綴じるべき紙を貫通した後、今までは眼鏡橋の形に曲げられていた先端を、可動式クリンチャで平たく抱き込むよう改良したのだ。
 平たく抱き込むので、フラットクリンチ。
 大発明だ、と思った。

 3号針を使わねばならない厚さを常に保持していた正会誌はともかく、薄いコピー誌の作成は実に楽になった。
 あの眼鏡橋が邪魔でホッチキスが嫌いになりかけていたわたしも、フラットクリンチの登場によって無類のホッチキス好きに変化していた。
 いや、正確に言えばホッチキス好きではなく、フラットクリンチ好き、だ。フラットクリンチにあらずんばホッチキスにあらず、という「フラットクリンチ至上主義」が心の中に芽生えてしまったのだ。

 サークル内は無論のこと、大学で授業を共にする友人たちにも、フラットクリンチの素晴らしさや、眼鏡橋が如何に醜いか、書類を積んだときの「針のある部分だけが斜めに高くなっていく」あの嫌な感じがなくなる快感など──とにかく徹底的にフラットクリンチを褒め、それまでのホッチキスをくさした。
 サークルメンバーは、わたしが製本作業で使用していたフラットクリンチを貸すと「こんな便利なホッチキスがあるのか」「ありがとう、本当にありがとう」と涙を流さんばかりに喜んでくれていた。
 ただ、便利なのは判っているが、本体価格1,000円は当時の価値観で言えばけっこうな出費である。コピー誌作成の場面でフラットクリンチの台数が増えることはなかった。サークルとしてもメンバー個人としても、購入に至らなかったと記憶している。
 HD-10Fはコピー用紙の貫通力が15枚で、100ページクラスの正会誌は無論、他のコピー誌でも30ページを超過した冊子には使用できない。サークル内での登場頻度が低いのも、普及に足を引っ張った。
 いわんや、日常でホッチキスを使わない友人をや。
 フラットクリンチ至上主義者と化していたわたしは、憤懣やるかたない表情で友人たちを見ていた──に違いない。
 当時もし財力があれば、フラットクリンチを買ってサークルや友人たちに押しつけていただろう。バイトも碌にしない万年貧乏学生には、そこまではできなかったわけだが。
 
 いかにも樹脂でござい、というカラーしかなかったフラットクリンチに、とつぜん透明モデル《フラットクリンチ・クリスタル》が出たのが、その翌年のことだった。
 これも狂喜乱舞して購入し、使い込んだ記憶がある。
 もちろん友人たちにも薦めまくったが、これまた誰も購入には至らなかった。
 このモデルは後に、文房具専門月刊誌『B-TOOL(ビー・ツールマガジン)』誌上において開催された第1回ステーショナリー・オブ・ジ・イヤーにおいて、デザイン賞を受賞している。いま見ても美しく、改めて入手したいモデルである。

 ただ、毎回同じようなオチで申し訳ないが、やっぱりこのフラットクリンチも、気づけば手元から消えていた。いつ、どこで手放してしまったのか。我ながら実に不思議だ。
 先日、《フラットクリンチ・クリスタル》が「マニア垂涎の限定モデル」としてインターネットの某所で販売されているのを発見した。50万円の値がついていたが、わたしが知る限り買い取り手は現れなかったようである。
 価格云々はさておき、フラットクリンチがホッチキスの歴史的転換点であったことに違いはない。ここから改良を重ね、21世紀にはパワーフラットやサクリフラット、バイモ11といった更なるエポックメイキングなホッチキスが生まれたのだから。
 ありがとうフラットクリンチ。またいつかどこかで手に入れたいものだ──できれば、適正な価格で。
【後日譚】
フラットクリンチという名称は、ホッチキスの綴じ方そのものを言うわけですが、このフラットクリンチ1号機が出た段階では、このホッチキス本体そのものが「フラットクリンチ」と呼ばれるに相応しい存在だったんですよね。イラスト内で泉がああ言ってますけど、今でもついHD-10Fのことを「フラットクリンチ」と呼んでしまいます。
あと、この記事を「森市文具概論」に掲載したことによって、親切な読者さまからフラットクリンチ・クリスタルを譲っていただきました。本当にありがとうございました!

イラストでは黒ボディのHD-10Fをモデルにしていますが、本当はクリスタルで描きたかったのです。ただ、現物を入手してみて「透けたこいつを描くのは骨が折れたかもしれないなあ」と思ったのは偽らざる事実です。

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